スポンサーサイト

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「Killer X」クイーン兄弟、読了。(☆☆☆★)

2005年08月30日 22:01

 新進推理作家・本郷大輔ら六人が訪れた、高校時代の恩師・立原茂邸。ある事故のため車椅子生活を余儀なくされた立原によって、完全にオートメーション化された山荘で、悪意の連鎖が始まる。著名推理作家2人による合作。

 このタイトルは既に読者にある程度の先入観…、つまり殺人鬼キラー・エックスが犯人なのではという先入観を与えているような気がしますが…、そういう意味では(その意味でだけ)まともなトリック小説。そして本作はガチガチの「トリック小説」です。話が本格的に動き出す(つまりミステリで言うところの事件…、殺人が起きる)までが長いけれども、終盤の勢いはまさに一気呵成といった感じです。伏線が一気に明らかになっていく様は一種のカタルシスを禁じ得ませんでした。ジェットコースター式、という奴ですね。油断をしているとラストで唐突にそうであったことに気付く大量殺人っぷりに度肝を抜かすやも。何処で繋がってくるのか判断材料に乏しい「突き落とし事件」とのリンクも、かっちり填まってきます。
 読了後、読み返してみると、其処此処に伏線が張り巡らされていたことに気付き、冒頭から全編に仕掛けられたトリックに改めて舌を巻くこと請け合いです。なにせ人物誤認、性別誤認、作中作による記述誤認と、本作は「トリック目白押し」ですから。こと「伏線」に関しては、黒田研二(「クイーン兄弟」の片割れですので、一応ネタバレ)氏は読者の視線を掻い潜って張り巡らせる…、というか、ばら撒くことの妙技を見せ付けてくれますね。こんなにギミックだらけで、どんな読者が一体真相を見抜くことが出来るのやら、と本格ミステリ読みであればトリック過重と騙されることの快感に大喜びしてしまいたくなる一冊。
スポンサーサイト

今日のフォト:「束縛」

2005年08月29日 22:25

DSCF2341.jpg


「秘密」東野圭吾、読了。(☆☆☆☆)

2005年08月29日 22:16

 妻と小学生の娘が事故に。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは死んだはずの妻だった。運命は愛する人を二度奪っていく…。切なさ溢れる長篇ミステリー。

 上質の現代ファンタジー・ミステリ。謎解き物語ではありませんが、謎が「謎」として物語の最初から最後まで付随することにより発生する「物語の旨み」のようなものが、本書にもあるのです。「人格の転移」というSF的な要素を用いつつ、物語時間の数年を掛けて、ぎこちなく暮らしていく父娘、同時に夫婦の葛藤と成長を描き、最後にあまりに切ない結末を用意することで読了後の切なさを大きく胸に残させます。
 タイトルにもなっている「秘密」。直子が抱く秘密の真の姿、タイトルの真の意味、それは最後の最後まで、論理的、或いは科学的に証明される「真相」という形で示されるものではありません。平介がそうなのだと確信することによって得られる、一つの物語の終焉と、そこから始まろうとする更なる物語の予感。如何にも有り得ない話なのに、その「有り得ない」はずの物語の最後に見せられた、大きな驚嘆(ミステリ的には多重解決と言い換えたくなる、ミステリ書きの東野氏ならではの物語の終え方)。死を見た者でしか分かり得ない生きることの素晴らしさ…、それを越える感動は、単なるエンターテインメントに留まらない「物語」の余韻の強さであると思われます。
[「秘密」東野圭吾、読了。(☆☆☆☆)]の続きを読む

今日のフォト:「精神不安定」

2005年08月28日 14:56

DSCF2361.jpg


「そして扉が閉ざされた」岡嶋二人、読了。(☆☆☆★)

2005年08月28日 14:53

 事故として処理されたはずの死んだ女性の遺族に殺害の疑念を抱かれ、核シェルターの中に閉じ込められた、四人の友人たち。事件に関わる登場人物は、被害者を含めて僅かに五人。物語はその中の一人の視点によって語られ、彼は自分が犯人でないことを確信している。推論を重ねるうちに、犯人は限定されたメンバーの中にしかいないことが判明。四人の中にそれは必ずいるはずなのに、しかし同時にその誰でもない、ということがやがて判明する…。
 物語はシェルターの中でのみ繰り広げられる、密室劇。ミステリ的にもとても厳しい条件の中でのフーダニットとなっています。それゆえに手掛かりは論理のみ、ひいては論理的な結論が導かれることになる。推理合戦もさることながら、シェルターからの脱出はなるのか、というサスペンスも見せてくれます。
 議論の螺旋の末に待っている結論は、すなわち数式の証明の如く、複雑さを排した論理性の高さを有しているのやも。緊張感が最後まで持続し、これしかないという「結論」が提示された瞬間、読者は本書がまさに「本格ミステリ」であることを見せ付けられるはず。

 こんなことを突っついてもセンのないことだけれど、ただ一つだけ引っ掛かって仕方なかったのが、…アルファロメオ。勿論、車の名前です。作中、重要な手掛かりとしてあるのですが、会話の中にも、あのアルファロメオが、そのアルファロメオを…、と『クルマ』でなく逐一、固有名詞で出てくるので少々しつこさを感じました。

今日のフォト:「優しくない夜明け」

2005年08月27日 14:29

DSCF2360.jpg


パジャマ

2005年08月27日 14:28

 そういえば。
 というほど大した思いつきでもないですが、ふと思いついたので書いておこう。中学生時代、男子生徒の制服は詰襟でした(つまり学ランね)。んで、ある冬の時期の朝に遅刻間際に慌てて登校してきた奴が、学ランの下にパジャマを着てきたのです。つまり着替える間もなく飛び出してきたというわけ。どの時代にもある笑い話の一幕ですが、僕が思い出したのは制服の話ではなく、パジャマの方。
 大抵のパジャマって、「パジャマ」にしか見えないですね。なにかこう、風呂上りにパジャマに着替えて、冷たいものでも買いにそのままコンビニに買い物に行く、なんてことはしづらいじゃないですかあ(誰?)。ぽん、と思い出せる範囲では、男性用も女性用も大人用も子供用も、どれもこれもひと目で寝具、寝巻きにしか見えないものばかりのように思うのです。
 何故ですか。何故でしょう。機能性か実用性かという前に、「それを着て寝るもの」として独立した種類(ジャンル)の衣服なのでしょうか、パジャマというものは。

「鉄鼠の檻」京極夏彦、読了。(☆☆☆★)

2005年08月27日 14:19

 忽然と出現した修行僧の屍、山中駆ける振袖の童女、埋没した「経蔵」……。箱根に起きる奇怪な事象に魅入られた者――骨董屋・今川、老医師・久遠寺(くおんじ)、作家・関口らの眼前で仏弟子たちが次々と無惨に殺されていく。謎の巨刹(きょさつ)=明慧寺(みょうけいじ)に封じ込められた動機と妄執に、さしもの京極堂が苦闘する、シリーズ第4弾!

 伏線を張っている、というよりも、布石を敷いている、とでも表現出来そうな印象を受ける京極ミステリ、本書の妖怪は「鉄鼠」。そして舞台は寺、仏殿。万事が万事、最早、幾ら不可解な事象が表出しようとも、やがては当然のように収まるべきところに収まってしまう。京極堂の言葉を借りれば「世界に不思議なことなど一つもない」のです、まさに。そしてそれゆえに解くことなど出来ようもない闇が、そこにはあるように思います。
 推理小説(探偵小説)でなく、今回ばかりは宗教小説なのではないかと疑ってしまいたくなるような薀蓄の嵐があります。実際、読み終えたときに、この物語はミステリの枠には収まりきれない要素があまりに多く内包されていることに気付きます。殺人事件の装飾としての舞台背景があるのではなく、その小さな世界の中の、ほんの端っこが、たまたま「殺人事件」としてこの物語が物語であることを許したような…。仏門というある種閉じた世界であるだけに、その世界の理を一時に、一気に見せ付けられるために生じる眩暈感。
 今回の事件の真犯人の犯行動機は、常人には理解し難いと言い切ってしまえるでしょう。それが、読者が常人であることの証になり、例え理解出来る者がいたとて、それは最早、浮世の者となってしまっているのは自明の理といったところ。驚嘆すべき殺害の理由は、狂気と一言で呼んでいいものか判断に惑う…、つまり、狂人だからそれをしたのだ、と即座に断言出来ない物々しさを孕んだ舞台であるための惑いを含むのですが、しかしこれはこの事件でしか成り立たない、特殊も特殊なもの。全くもって、この物語は現世と浮世の狭間にみっしりと埋もれた一大伽藍なのではなかろうかとひしひしと思うのでした。

 非日常の存在である妖怪が、ここでは逆に現実味を帯びて現れているように思います。のみならず、その世界の中では現実そのものの不条理さを曖昧にする媒体として妖怪が出現せらるるように思えるのだから、なんとも面妖なのです。

「猫の恩返し」鑑賞。(☆☆★)

2005年08月26日 23:34

 観終えた後になってタイトルの意味を理解しました。
 猫猫猫の国! とか、伯爵! バロン! とか言ってないで、ユキちゃんの幸せを祈ろうよー、という話なのでは。それに尽きる話なのでは。誰より何より、僕は彼女が一番可愛いと思いましたよ。というか盛り上がりどころがないような気がしてならなかったのでは。というか「単なる猫好き」な映画なのでは。というか僕はバロンの役回りがいまいち飲み込みきれませんでした。

今日のフォト:「タイフーイッカ」

2005年08月26日 21:53

DSCF2372.jpg

 水溜りに逆さ富士。

今日のフォト:「大地を分ける」

2005年08月25日 14:16

DSCF2332.jpg

「D.Gray-man・1~2」星野桂、読了。(☆☆☆☆)

2005年08月25日 14:07

 仮想19世紀末だの、特殊能力モノなエクソシストだったりで、掴みはどうかなあと思ってたのですが、存外に現実世界をスライドさせた作りになっていて面白かったです。悪魔の化身が半機械生命体「AKUMA」だなんて呼ばれた瞬間には流石に苦笑いが浮かんだことを告白しておきます。けれどもなんということはない。これはそのまま「悪魔」と読み替えればいいのだ。人を殺すことにより魂の(マイナス方向への)レヴェルが上がる、経験値を積む魔物というのは面白いかも。奇ッ怪なデザインもこの方の持ち味らしいですね。
 主人公勢がやたら「綺麗」に描かれているわけでないことを始め(アレンの左手はむしろグロテスクな部類のはず)、絵柄の好みとかもあるのですけど、どうやら何もかも勧善懲悪で語れるような感じでもないので、いきなりラスボス?登場な話の流れとか、少年漫画誌の媒体が媒体なせいもあるかもですが、星野氏には描きたいものを描き切って欲しい。アレンにはちょっと久々に萌え発生しまして…、もにょもにょ。作中、所々に神と人との中間の存在のあり方が色々描かれる…、ひいては、神が人を救わないことが明確に描かれるので、神と人との逆のベクトルに向く思念の存在が、人の魂を酷薄に扱う敵対者として描いているのかなあと解釈。

 ところで神田くん(笑)は登場した瞬間に絶対女の人だッと思ってたのだけれど、都合のいい思い違いでしたね。サラシで巧いこと隠れてたので一人称「俺」の女の人で後々読者を驚かせようという魂胆なのかとドキワクしてしまいました

 あと、冒頭1ページ目で、すわハガレンかと思ってしまった僕をどうかお許しください。

今日のフォト:「可愛さの基準」

2005年08月24日 16:53

DSCF2337.jpg

「妖都」津原泰水、読了。(☆☆)

2005年08月23日 23:56

 死者”が東京に増殖し、街に自殺者が溢れ始めたのは、CRISISのヴォーカリスト、チェシャが自殺してからのこと。両性具有と噂された美しく妖しい彼が遺した歌「妖都」は、ヒットチャートを上昇中。“死者”が見える少女たちを取り巻く恐怖と加速する謎。明らかになる巨大な真実。世界をも震撼させる怪奇幻想小説。

 「CRISIS」というバンド名は、そのまま訳せば分かるように、崩壊の序曲を示していますね。これは恐らく、チェシャが幾つかの曲の中で歌っているように、幾つかの物事を崩壊させようという魂胆の表明なのだろう…、と読者は当然に推察します。けれども、彼の思惑はそんなところにはなかった。この物語は、そんな、万人の読者に「物語の解説」を自ずから行うような、「きちんとした」物語ではないのです。
 僕個人として、所々興味深いところがたくさんありました。例えば、チェシャ…、すなわち両性具有の青年が、自己妊娠?体内受精?(なんて呼べばいいのだろう)により、自分と全く同じ遺伝子を有した子供、つまり「己を産み出す」ことに成功していた、というくだりなんて、とても面白いと思います。けれども総じて言えば、あまり面白がれませんでした…。これはホラーなのだろうか。
 万人の読者の納得のいく結末、というものが、(恐らく)本作にはありません。それはミステリ読みである僕が常々求めがちな、物語の秩序立った成立が意図的に描かれていないためだと思われます。というよりも、本来、「物語」の「結末」というものは、それが読者の眼前に切り取られた物語でなければ不自然極まりない代物であるのです。物語というものは本来読者のためにあるのではなくて、物語自身のために存在するものであって、本作のようなある種不条理さが必要不可欠な要素として収められた物語に求められるのは、確かに媚びを売るような姿勢ではない。「物語」という彼自身のための世界がそこにあるのです。

今日のフォト:「トライ・アングル」

2005年08月23日 14:35

DSCF2327.jpg


「トキオ」東野圭吾、読了。(☆☆☆★)

2005年08月22日 22:39

 1979年、浅草。不治の病で死にゆく息子が、時を超え若き日の父親に会いに来た。男は「彼」との出会いによって、父親になっていく-。切ない長編ファンタジー。

 タイム・トラベラものですね。息子が過去に遡って父親に会いに行く。なんだか最近読んだ「いま、会いにゆきます」(市川拓司)の逆ベクトルに作用している時間設定だなあ、と思ってしまったのは気のせいだろうか。しかしトキオ青年、気持ちのいい奴ですね。反対に拓実は物語の視点であるためか、どうにも拓実が自分に素直過ぎるというか、自分勝手に過ぎるというか、読者の反感をくらいそうだ…、親子で全く対照的な性質を持った人たちだなあ、と思わせるのは、この話は大雑把に言えば「自分探し」の旅であるからで、二人が逐一突っ走ってぶつかって、の繰り返しであるのが少し皮肉で面白いですね。
 人の若さは最大の武器にして最大の敵である。そんなことをふと、感じました。若さを根拠にして行動を成功に移せる者もいれば、若さを言い訳にして言動を失敗に陥らせる者もいる。元々、人という生き物は私利私欲のために動きがち…、得てして動くものだから、苦笑いをしながら拓実の東奔西走を眺めることになります。
 別れた彼女の行方探しから引っ込みがつかなくなったことから始まる活劇の続く中、「自分探し」の物語が進むのですが、頭の片隅では実は彼の息子であるトキオの言動が気に掛かる。それは読者の側も違う意味で常に感じていて、つまり何のためにトキオは現れたのか…、直裁に言い換えれば、物語の結末がどうなっているのか、ということにそのまま繋がるわけです。後に彼を生み出す拓実と麗子の出会いを演出するのがトキオであることが想像出来ます。そして彼にしか出来ない演出が。ちょっといい話、では終わりません。過去と未来の繋がり、その両者の狭間で生きる我々は、一度はその素晴らしさを体験する必要があるのかもしれません。

「メフィストの漫画」喜国雅彦・国樹由香、読了。(☆☆☆★)

2005年08月21日 21:58

 「ミステリに至る病」「あにまる探偵社」を始めとする、意欲的な「ミステリ」漫画集です。ええっ、そんなにミステリしなくてもー、と突っ込んでしまいたくなるネタ満載。古書満載猫満載犬満載。

「NEEDLESS・3」今井神、読了。(☆☆☆★)

2005年08月21日 21:13

 シリアスにしておけばいいのに衝動的に挿入されるギャグに全く違和感がなかったり、いきなりラスボス登場&主人公とガチンコ対決ですがいいんですか? な巻となっております。萌えたり萌えなかったり燃えたりします。炸裂する必殺技の応酬に、この話に「必殺技」などありえないのだなあとしみじみ。

今日のフォト:「林の出口に」

2005年08月20日 14:58

P251iS058910.jpg

感動の一種

2005年08月20日 14:48

 読書の感想を書いていて、ある感動的な場面に出会ったとき、
「ここで泣けるようなら読者として最高なんだろうなあ」
 と思うときがある。けれども確かに胸の内で感動しているのを自覚していても、なんだかそれが悔しいばかりで実際に泣くことはないのだ、僕の場合、滅多に。それはアマチュア・クリエイタとして自分もこんな風に人を感動させることが出来るだろうか、いつかはそんなものを書くことが出来るのだろうか、とその前に思ってしまうためだ。それが己が未だそんなレヴェルには至らないことを自覚した「悔しさ」であり、同時にその作品を手掛けた作者への最大級の賛辞に等しい敬服の念なのは確実だろう。つまりそれは心を激しくかき乱させられるという意味では間違いなく感銘を受けているという点を加え、二重の感動をしているのだ。僕が口にするのはおこがましいのだけれど、こういうことは凄いと思う。

「ハチミツとクローバー・8」羽海野チカ、読了。(☆☆☆☆☆)

2005年08月20日 13:49

 物語には、それが語られることを終えるという「物語の提示の結末」の他に、望まれる幾つかの結末、というものがあります。それはつまり、小さなエピソードが終わりを迎えるというものでもありますが、ある一つの形を見せ、それが別の物語の始まりを同時に意味するもの…、これにも当たります。「ハチクロ」本作も、これら小さなエピソードが集まり、積み重なり、或いは横に繋がって成り立っていくものであります。もう子供ではない、けれども不惑の大人でもない…、そんな世界の中で常に揺れ動く心の持ち主たちを描く本作は、ハチミツのように人には不慣れな甘さ、野に咲くクローバーのように、直ぐには見つからない、そして直ぐそばにあるとは限らない、けれども何処かにはきっとある幸せの予感…、そんなものたちが切なく描かれているのです。
 ある、一つの恋、二つの恋、三つの恋…、それらの行く末が見えてこようとしています。先にも述べた「幾つかの結末」にそれらが辿り付こうとしているのは明白ですが、そこから新しい何かが始まろうとしている予感も、それらからは確実に感じ取ることが出来る。だからこれは、「物語の終わり」の啓示ではないのでしょう。
 誰かを好きになるというのは生半可なことではないけれど、決して生易しいものでもない。そして優しいだけでは恋愛など出来ない…、コミカルなラブストーリーの中に秘められた、本気と本音の恋物語を、少しだけ真剣に見つめてみたくなったのです。

今日のフォト:「それなりの空」

2005年08月19日 21:12

DSCF2296.jpg

「探偵映画」我孫子武丸、読了。(☆☆☆★)

2005年08月19日 21:10

 「探偵映画」という映画をめぐる小説。映画監督・大柳登志蔵は「探偵映画」というタイトルのミステリー映画を撮っていたのだが、結末部分だけ残して失踪してしまう。結末、つまり映画で起こる事件の真相が分からなければ、映画は完成しない。慌てたスタッフや役者たちは、なんとか真相を推理して、映画を完成させようとするのだが…。

 作中、登場人物が既存の映画に用いられている叙述トリックを幾つか紹介しているメタミステリ的な構造になっているのだけれど、それによって本作そのものに既存のトリックは用いられていないことを登場人物の口から示しています。それによって、既存の作品に用いられてるギミック(トリック)をほのめかすことで、本作に仕掛けられたトリックはこれではない、これでもない、と選択肢を作者自らが潰していく、心憎い遣り方がされていますね。
 製作過程で監督が失踪し、スタッフが試行錯誤して監督の想定した結末を完成させるという過程の映画を撮っている、これはドキュメンタリー映画なのだ、という多くの読者が初期の段階で疑うであろう推論に歯止めを掛けていますね。これは最終的に真相の一部を示しているのですが、真の真相ではないです。
 どんな結末が、どんな結末が…、と期待しながら読み進めていると、とんだ不意打ちをくらわされました。映画の結末の行方は元より、監督が失踪した理由にまで説明がつけられる、初期の「新本格」らしい、シンプルであるがゆえに綺麗にまとまる真相。未完成だと思われていた作品が既に完成されていた、ほんの一つのシーンの順番を入れ替えるだけで全てに整合性がつけられるというのが最大のトリックでしょう。苦味を感じさせながら落ち着くべきところに落ち着く、これこそ大団円ですね。

今日のフォト:「150円」

2005年08月18日 22:18



 近所の自販機にありました。売り切れ中のランプが点いてました。

「くらのかみ」小野不由美、読了。(☆☆☆★)

2005年08月18日 14:11

 犯人当てならぬ座敷童子当ての本格ミステリ。死の床に臥した大富豪は、後継者を定めるべく親族一同を蔵のある立派な屋敷に呼び寄せた。そこで起こる怪異を解くべく少年探偵団が結成されるが、そこには座敷童子も紛れていて…。

 「四人ゲーム」によって子供が一人増えてしまった5人組のメンバーが主人公。座敷童子旧家の遺産相続のために集まった親族の間で起こる小さな事件が物語の軸なのだけれど、大人たちの側では緊迫、切迫した空気は何処か遠く、そのせいで「ミステリする」という子供たちの探偵ゴッコという形容が当てはまってしまいそう。これは「田舎」が表す一つのオカルティックな要素のもたらす効果でもあるのですけれど、ある意味では奇妙に牧歌的。
 けれども実のところ、ロジカルなアリバイトリックが盛り込まれていて、現代ファンタジーであると同時に、かっちりとミステリです。座敷童子の出現による「歪み」がその成立を複雑化しているところが面白いですね。座敷童子の正体とも密接に結びついている(ただ、そうして座敷童子が「現れた」のか、については、流石に論理的な解決とはいきませんが)ところがニクイ作り。物語の視点が子供たちであるので、如何にも「作者の仕掛けるトリック」主義なところはなく、読みやすく作られています。
 読後感も主人公、読者共に一番安堵出来る終わり方でイイ感じです。本レーベル「ミステリーランド」に巧い具合にはまる、入門編と呼んで差し支えない一作ではと思われます。

今日のフォト:「ネジ式」

2005年08月17日 14:07

DSCF2278.jpg

「虚空のランチ」赤江瀑、読了。(☆☆☆☆)

2005年08月17日 13:53

 これまでに手がけた200篇を越える全短篇作品の中から選りすぐられた16篇を収録。「花夜叉殺し」「ライオンの中庭」「海贄考」など現代日本において望みうる、豪奢にして妖美な物語の饗宴。

 虚空に漂う雲がひとときたりとも同じ姿を保つことが出来ぬように、時が経てば人というものは外面も内面も変化する。それらは老若男女に関しても同様のことが言えよう。それら個々は違う生き物である、という考え方は通念的なものとして存在し、感情の交差は時に奇妙な色合い、味わいを見せる。
 物語の中で消極的に、かつ存在感のある姿で語り手に、そして読者の前に提示される数々の謎は、理路整然と解かれることによって物語に何らかの秩序がもたらされるようなものでは、必ずしもない。時に謎は氷解し、時に謎は謎のまま更に深まり、物語の中に埋没し、再びの一体化を図ろうとする…。そういう意味でのミステリではないのだ。そういう、一種の安心感を数々の物語の中に求めてはいけないのだ。現実の最中に置かれた、非現実的とも呼べるような幻想としてのミステリー。幻影のようで夢幻的で…、幻想物語、幻想奇談、と呼び換えてもいいかもしれない。そのままの形であるべき、もしくは、それは謎のままであることが、その物語世界では最も秩序を維持出来ている状態であると言える…、つまり、物語が始まった瞬間がそれであるが、謎を謎としてよしとするに、人間はあまりに知恵を持ち過ぎた生き物なのだ。それゆえ、謎が解かれてしまうことから浮上する哀しみ、虚しさ、そういったものがまた、安定しない非現実の幻想さを後押ししていると言えよう。
 エンターテインメント世界の一作品と呼ぶよりは、赤江文学の純度の高い集合体と呼ぶのが相応しい、珠玉の幻想物語の数々。

今日のフォト:「自然とはそういうものだ」

2005年08月16日 14:50

DSCF2277.jpg


今日のフォト:「幸せになれたら儲けもの」

2005年08月13日 15:15

DSCF2275.jpg

今日の一言

2005年08月13日 15:14

 やはり大人は子供に、常識よりも先に良識を教えるべきだ。
 それこそが本来、常識たりえる知識なのではないだろうか。


RECENTLY


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。