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黒猫屋フォト

2005年10月31日 23:23

 紅葉が始まりましたよ。
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「ジャンヌ・ダルク」鑑賞。(☆☆☆★+★?)

2005年10月31日 22:03

 神は人のうちにこそ宿る。
 鬼才なり、リュック・ベッソン。

「黒笑小説」東野圭吾、読了。(☆☆☆☆)

2005年10月31日 21:05

 同情を集めるかわいそうなシンデレラの素顔とは? メル友に会うには写真と実物のギャップがありすぎ! 苦節30年、売れない作家は初めての選考会へ勇んで望むが…。笑いのマエストロが贈る、超ブラックな13の短編を収録。

 殊更に出版界の事情を毒気たっぷりに書かせたらこの人あり、というのが(僕の知る限り)東野氏なのではと思わせる短編集です(文壇モノは本書には4編収録)。東野氏に限らず、作家自身、出版界に身を置く者であるのだから、よくもまあ、こんなにイロニカルな小説を書いてしまって、何処かから叩かれないだろうかと一読者なのをいいことに心配してしまいたくなるくらい、彼らの「事情」が良く描けているのです。こんなことがあったら嫌だなあと思わずにはいられない、寒々しく毒々しい「舞台裏」の数々。何処を取っても「毒」という一語が余程似合う短編集。毒だらけですが、嫌みったらしくないのが不思議と面白い。多分に、それらが「こんなことがあったら嫌だなあ」という読者の苦々しい思いだけで終わるものなのか、真実は判然としないリアリティがあるように思われるからでしょう。そのギリギリのラインだからこそ、「小説としての面白さで踏みとどまっている」面白さがチクチクと読者を突付いてやまないのです。
 東野氏なりのひねりの利いたブラックジョークが数々。世界は皮肉に満ちている…。イロニィは、小説作品を描く上での一つの手法であるとも言えるのですが、さらりと何気ない顔をして(?)、冗談では済まされない話を書いてしまう凄さ。

 本書を楽しめる方は、是非とも「怪笑小説」「毒笑小説」の二冊も手に取るべし。

締めの一口

2005年10月30日 12:11

 朝ゴハンの代わりに、インスタントのコーンスープを飲む。カップに粉を入れて、お湯を入れて溶かすだけ。簡単に出来て、美味しい。僕たちは猫舌なので、お湯を気持ち少なめにして、牛乳を少し混ぜてやると、丁度いい感じになって、クリーミーになって、美味しい。ゴクゴク飲むような物ではないので、当然、味わいながら少しずつ楽しむ。残りが半分より減った辺りから、次第にスープの味は濃くなっていく。お湯を少なめで作っていたから、最初の溶け残りが沈んでいたため。それも少し嬉しいようなそうでないような。そして、一番最後の一口が一番濃い。締めの一口、なかなか粋な計らいではないか。
 インスタントのスープやココアなどは、この最後の一口が好き。なんだかしみったれているけれども、始終掻き回しながら飲むよりは、多少カップに跡が残ってしまうことになっても、濃い目の一口を飲むだろう。
 起源はホットミルクの甘いラストだ、きっと。

「桜色BUMPⅡ ビスクドールの夢」在原竹広、読了。(☆☆)

2005年10月29日 22:53

 「ミステリ」が主体の物語ではないので、厳密に言うまでもなく学園ミステリの額を掲げるのは良くなかったのではないかと思うのですが…、多分に、このシリーズは普通に現代ファンタジーとして読んで構わないのではなのではと。とはいえ現代劇に不意に舞い込んだファンタジー、という意味では(浅子や桜子は「異常」を友人に話すなど、私生活に極力持ち込まないようにしている)、「ファンタジー」の一言では決め付けられない「現実を見直す視線」が感じられないわけでもないけれど。
 あとここにきて気になったのですが、一点。物語は基本的に三人称で語られます。けれども登場人物の心情が地の文で語られるうえに、視点が不安定でコロコロ代わるので、このパラグラフは誰の考えたことを書いているのか、ということが分からず何度も躓いてしまい、読みづらかったです。

「時計仕掛けのオレンジ」鑑賞中。(☆☆+☆☆?)

2005年10月29日 21:58

 監督はスタンリー・キューブリック、35年前の作品です。僕はキューブリックにさしたる感慨の先入観は持ち合わせておらず、本作がどのような内容なのかも全く知らずに観た、ある意味では非情に幸せな人だったわけですが。
 とかく、この作品(物語ではなくて、全体を称して「作品」と呼びたくなるな)の抱えるテーマは「ヴァイオレンス」でしょうね。幕が開けてから正味1時間は、正直退屈で仕方ありませんでした。舞台は近未来、ドラッグとセックスとピストルが蔓延るのは今も昔も同じ、というわけで、それらに溺れる悪ガキも数多いのです。主人公はそんな不良グループの一人、アレックス。奴等が野放図好き勝手、跳梁跋扈な嫌がらせを街の人々と観客にも等しく与えていく…、もう最悪。最悪も最悪、精神的な痛さが付きまとうばかりで、ここで放り出す人も多いのではないかと思われますが…、前半と後半とでは、色合いが全く異なるのです。
 小さなミスで刑務所に入れられた彼は、洗脳ともとれる治療によって、ヴァイオレンスな感情を抱くと同時にジレンマを覚えるという条件反射を植え付けられ、悪人から善人へと変えられる。そして釈放されるわけですが、彼に与えられるのは当然に報復の数々。どんなに暴力を受けようとも、虐げを受けようとも、それに反撃をすることも出来ない。「治療」プログラムのBGMがベートーベンだったせいで、彼はその音楽にも拒否反応を示すようになってしまった…、とんでもない…、とんでもないとんでもないシニカルな展開。描写の仕方ではコミカルになってしまうシーンが数々あるのですが、口元だけを歪めて見入ってしまいます。最悪。
 彼は、決して彼の内側から欲望を抽出され取り出されて綺麗にされたわけではないのですよね。だから、己との葛藤が水面下にて幾らでも繰り広げられている。生活圏の普遍から風俗、行政や政府(の一部)に反すること=反社会的なことが悪いのだから、それを封じ込めて表に出てこないようにしよう、という考えは、確かに社会的ではあるのだけれども、果たして倫理的には善ではあれ、完全に真であるのかどうか、問われています。
 さて…、しかし、本作が呼び掛けているのは、そんな表層だけの物事ではないような気がするのだけれど…、あのラストシーンといい、風刺の一言では言い切れない、キューブリックの「予言」めいた何かがあるように思われるのは僕だけでしょうか。傑作か駄作か、視聴者の反応が二極化するのが頷けます。

今日のフォト:「そして、夜が始まる」

2005年10月29日 11:19

 街路灯がついた瞬間。これから黄色くなります。
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「パズラー」鑑賞。(☆☆★)

2005年10月29日 03:42

 このタイトルから西沢保彦氏のことを思い出したミステリ好き、どれくらいいるのでしょうか。かく言う僕は、その線からこのタイトルを手に取って観てみようという気になった口です。山荘で死んでいた3人の男、どうしてここで、一体彼らに何があった? …ということに関しては、割とあっさり推理されてしまうのですが、それこそ西沢ロジックみたく、ディスカッションを重ねて新たな真実が見えてくる…、って話だと僕はしばらく期待してました。嵐の山荘状態になって殺し合いが始まるのかと期待したんですが、そうはいきませんね(苦笑)。
 コアとなる部分は、男たちが盗み出していた黄金の首飾りを、山荘に訪れた5人がどう始末をつけるのか、ということです。売りさばくのか、物理的に処理してしまうのか、それとも…、と。お約束の如くに仲間割れを起こしたり、それこそ絶体絶命の危機に幾度も陥ったり、奇跡としか思えない逆転劇がラストにあったりしますが、まあ、観終わってみれば、奇をてらうでもないクライムムービーだったなあ、というところ。なんというか…、若者サスペンス?(このニュアンスが既に軽いなあ)
 ラストシーンはニヤーとしますね。いろんな意味で作中の空気にあった軽さで(褒めていません)。酷な話、この作品にどういった意図で付けたのか「パズラー」の意味が僕は分かりませんでした。
[「パズラー」鑑賞。(☆☆★)]の続きを読む

「less」鑑賞。(☆☆)

2005年10月29日 00:04

 森の中をひたすら車で突き進む家族と、それが停まる度に一人ずつ何者かに殺されていく恐怖。一本道から抜け出せない焦燥と、家族の中に存在する確執が広がりを見せていく混乱と崩壊。昨今のホラー映画に仕込まれる、ミステリとしてのサスペンス感はないのですが、そういう、極限心理描写がてんこ盛り。
 正直な話をしましょう。ラスト直前までは、この映画の印象ははっきり言って悪かったです。始終暗い画面で森の中の道か走る車内での会話シーン、口半開きでポカーンと画面を見ていた時間が随分と長かった(それを自覚しているのだからタチが悪いですね)。頭の上で「低俗」「アンチモラル」の文字がぐるぐる回ってましたよ。タイトルコールまでの数分で既に何年前の映画だこれは、という匂いがプンプンしましたが…、恐らく原題であろう「DEAD END」は、かなりネタバレなのではないかだと思われます。物語の謎解きとはなり得ないファクタではありますが…、この映画は死出の旅へと向かっている(三途の川みたいな)道の途中での、家族の生からの別れを描いたものだと置き換えて観れば少しは分かりやすいのかな、と思います。
 しかしあまりに不条理に人が死んでいくので、
「きっと皆マリファナ吸ってるんだヨ!」
 と一言で全てに説明が付いてしまう(?)マトくんのQED(証明終了!)に納得しそうになったり(劇中、伏線がありますよね、そういえば)しましたけど、一応、一番もっともらしい「結末」に至ります。あまり後味はよろしくないし、すっきりしないラストですが。
 しかし段々にこの物語の意味合いが分かってくるに連れ、ああ、そういうことを描いているのだなあ、と再認識してきました。先の低俗っぷりも、噛み砕けばある種の人のエゴですよね。人間の理性の皮を取っ払った姿が多く描かれているのです。その場でやりたいと思ったことをしている様…、つまり性欲と食欲と睡眠欲とがごちゃまぜになった、死からの逃避行を端的に表現しているんです

 2度観ると伏線も意外と彼方此方にあって、色々分かってきます。2周目は☆1個追加。これにて「今までに観た映画」ワーストを回避。

今日のフォト:「人生ってこんな橋」

2005年10月28日 19:56

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今日の一言

2005年10月28日 19:54

 友人、友達。なんとなくニュアンスが異なる。

今日の一言

2005年10月27日 21:09

 本日のツワモノランキング。
「煙草をフィルターまで吸う」
(指を火傷して「アチッ」となるまで)

黒猫屋フォト

2005年10月27日 20:40

 ライフパートナー。箱買いしたペットボトルが溜まったので片付けました。
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今日のフォト:「ソーラー・レイ」

2005年10月26日 21:33

 県立博物館の広場。
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黒猫屋フォト

2005年10月25日 19:28

 たまには黒猫屋フォト。
 マトくんの撮ったものは、本人が「これはこう撮りたい」という構図を決めて撮っているのが明らかで、その場その場で行き当たりばったりに撮っている僕と比べると完成度が明らかに違います。流石は絵師ですね。
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今日のフォト:「CGくささ」

2005年10月23日 17:10

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「キノの旅・9」時雨沢恵一、読了。(☆☆☆☆)

2005年10月22日 22:58

 短編というよりもショートショートに近いくらいの物語の集まりが「キノの旅」の基本編集コンセプトである…、ように思うのが、これまでのところなのですが…、過去と現在と未来、それぞれ異なる主人公とが更に異なる文体で繰り返し語られることにより、読者はそれらが一冊の本としてまとめられる不思議が「世界」の奇妙さと相まって、しかし違和感なく誘い込まれるのです。
 淡々と語られる小編の数々、中には本当に掌編と呼べるものもあったりして、如何にも小説とは呼べないものも幾つか。けれども、物語が短ければ短いほどに、(誰の目にも明らかなのだけれど)キノや、多く存在していたであろう旅人たちが、その中で辿り着く数々の国々は、そのどれもが何処か欠けている。無数に存在する「国」は、世界を構築するパーツとしての一片ではなく、逆に大きな一つの確固とした存在である「世界」を無数に、無造作にアトランダムに分けてみたことによる「欠片」として散り散りに存在しているように思います。
 「世界」は誰の目にも美しい物として映っている。しかし、世界は美しくなんてない、と嘆き、叫ぶ者がいる。彼らには、「世界」が見えているのではなく、その世界の中にある多くの国が見せる不完全さ…、その醜さをもってして、彼らの存在する世界が美しくない、と嘆かせているのです。ゆえに、「世界」は美しくなんてない。そして同時に美しい。
 
 そして時雨沢氏お得意(?)の後書きですが、今回はなんてふざけた後書きを書くのかと読者の多くはにんまりしつつ呟くことでしょう(笑)。確信犯もいいところです。

「森博嗣のTOOLBOX」森博嗣、読了。(☆☆☆★)

2005年10月18日 18:08

 パソコンからラジコン飛行機まで。小説家・森博嗣が自宅にある「道具」を撮影し、もの作りや工業製品に関する思いを綴ったフォトエッセイ。『日経パソコン』連載を単行本化。

 本書は察するに「工作少年の日々」の姉妹本ですね。「工作」はものを作る者としての思想、思考が綴られていたものでしたが、本書はどちらかというとものを作るためのもの、つまり道具(ツール)に視点が向けられているようです。つまりは森氏の本領発揮、クリエイタの思惑たっぷりの本。小説ではなかなかお目に掛かれない、森氏の思考、考察が一杯です。
 本編中で森氏が話しているように、色々なものが詰まったツールボックスは、得てしてジャンクボックスとしてガレージボックスの中に埋もれてしまうものです。大抵の人は道具を用いる際に、まさにその瞬間に必要のない道具も手元に置いておきたい気持ちになるもの。それは工作の心構えでもあるし、下手をすると道具を揃えただけで工作をしなくても満足出来るものなのです。本末転倒ですが、けれどもそれはまかり通る。工具を揃えることが目的なのではない、勿論、その前に工作をしたいという欲求が派生しての準備なのです。なのに、道具があれば充足してしまう心の一部分。それこそが、道具の持つ魅力なのでしょう。当然のことながら、それは工作のための工具だけにあてはまることではなくて、我々、私生活の中の多くの事柄に当てはまりそうです。一般に雑貨と呼ばれるものたちの多くは案外、毎日使うものでもないのに部屋の中に置かれて、置かれたままで、それでよしとされているのではないでしょうか。機能性に優れたものを最前線で使用し、デザインに優れたものはついついインテリアとして部屋の飾りになってしまう…、それも、道具の利用法、つまりは価値と言えるようにも思います。
 本来の意味、そしてその外側で存在価値を有することが出来ている道具こそ、優れた道具として残っていく。これは、日常的な「道具」に関して言えることですが、例えば工場に鎮座する大仰な機械であっても、それが工場の一部分を成すパーツとして存在感を示している。この時点で、その機械は(多少誇張アリですが)工場のモニュメント的位置付けになってるのではと思うのです。それがあるからこそ工場が成立している、というものではない。けれども、あるとないとでは全く趣が違う…、こんな風合いです。まず目的があってツールを揃えようとする、次に自分なりの方法論が確立してきたら、その理論に従った、或いはそれ以上の結果を導き出すためのツールを模索する。次には、自分なりのやり方を維持しつつ、別の方法を探し始める…、このようにして、人は何かを成し遂げようとするときに、同時にそのツールをも模索し続けるのでしょう。

今日の一言

2005年10月17日 20:30

 「ドラマティック」なドラマって、おかしくないですか?

今日のフォト:「秋らしくないことの基準は」

2005年10月17日 20:29

 朝顔ですが、何か?(昼顔かもよ。夕顔かもよ)
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今日の一言

2005年10月16日 22:16

 助けてください! ようやく悟りました!
 マトくんには知ったかぶりが通用しません!

今日の一言

2005年10月15日 18:40

 個人的に「面白いけど嫌い」な芸能人って、結構いるらしい。

「コール」鑑賞。(☆☆)

2005年10月14日 23:17

 「完璧な計画」により進められようとしている、誘拐事件。24時間以内に全ての決着を着けようとする犯人に、親娘はどう立ち向かうのか…。身代金目的の拐取を実行するにあたり、誘拐事件を犯人側が無事に成功させたいのならば、誰も傷つけずにいることがファクタではないかと思われます。「誘拐された者」が現在無事なのか、そして最終的に無事に帰してもらえるのか、というところに、被害者の家族から一番の注目が行く。娘が誘拐されたならば、その親は彼女の無事を一番に願う。そして、事件の発覚そのものがなければ、なお良いわけです(犯罪が汎愛として明るみにでないこと、それこそが「完全犯罪」である)。その意味で関係者(家族)の全てを別々に監禁する、というやり方は、犯人が複数になる割には安全率が高く(通常、犯罪行為は行為者が多くなるほどに立証を防ぐことが困難になるし、金銭目的犯罪であれば人間関係がこじれる恐れがある)、斬新な切り口だと思われます。
 この映画の本筋は、完璧なはずの犯罪計画が脆くも崩れ去っていくプロセスなのです(ネタバレにはならなそうだけれど一応伏せておこう)。それまで4度の誘拐が何の支障もなく遂行されたのに比して、しかし今回のそれはあまりに杜撰にしか思えないのです。完璧な犯罪計画を練った上での実行であるのならば、不意の事態における対策を予測せずに何が「完璧」かと。それを抜きにしたところで、主犯は油断し過ぎ、見張り役は役に立たず、遠隔地での監禁役は懐柔される寸前。これでは「犯人」として失格。
 被害者を「殺しはしない」ポリシーを基本中枢に抱くことによる、ある意味でスマートな誘拐犯罪を幾度も続けてきた犯人の動機が宙ぶらりん(今回の誘拐がいつのまにか復讐であったことになっていたり、それまでの4度の誘拐の意味が、本当にただの金欲しさだったことになり、今回の復讐劇の意味がなくなる。しかもそれは犯人当人の口からは真偽が示されない)、で、最後まで明確にこの物語の性質が位置付けられないのが最大の難点なのではないかと思え、残念です。

 ケビン・ベーコンは本当に悪役役者だなあ。(褒めてます)

「ティンク・ティンク・3」松本花、読了。(☆☆☆★)

2005年10月14日 18:44

 何処とも呼べぬ島国、いつとも呼べぬ悠久の刻の一握り。掌編と呼んでもいい物語の欠片が、リンクされながら読者の前に少しずつ広げられていきます。物語の主人公は、少年の姿をかたどった、二人の神様。なのに、彼らはまるで純粋無垢な少年でしかないのです。それが「物語」と「世界」の束縛であろうと思われることは読者によるメタ的な見方なのでしょうが、舞台が南国であろうことから常々披露される人物の骨格は目を惹きつけられます(真面目な意味でも、そうでない意味でも/笑)。
 ページの構成や人物、背景の配置など、デザイン画を幾つも眺めるときのような不思議な奇妙な思いと共に、とびきりのロウ・ファンタジーは、そのまま絵本を読んでいるときのような、何も考えずに「世界」の中に取り込まれ、その瞬間だけ幻想の中にいる幸せを感じることが出来るかも。

今日のフォト:「さよならなんて言わないよ」

2005年10月13日 23:17

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「D.Gray-Man・6」星野桂、読了。(☆☆☆★)

2005年10月13日 23:15

 少年漫画らしいスピーディーな構成で、しかし物語は心理小説的にじっくり進んだ第6巻でした。本巻では背反者が描かれます(ネタバレになるので言及は控えよう)。本書を読みながら以前に少し思ったことですが、この物語の世界では、神は果たして人を救う存在足り得るのだろうかと。そして悪魔(AKUMA)が蔓延る世界を本当に救うのは、救い得るのは何者であるのかと思わずにはいられないのがクリエータ(創造主)なのではないかと。「ノア」といえば「箱舟」の話を思い起こさずにはいられません。主人公たちエクソシストが所属する組織が通称「黒の教団」であることを考えても、なんだか背反律はそこかしこにありそうですよ。
 傷つき続ける主人公、ウォーカーくん。本巻のラストでついにもうアレは死んだとしか思えない展開に! 読者の興味を引っ張るには最高の展開ですが、しかし巧いことやらないとブーイングを頂いてしまうのではと心配だぞ。基本的にハッピーエンドばかりがお似合いの話ではないから、重い展開は望むところですが、希望の道も忘れずに示してもらいたい思いです。

「がんばる」
 の場面は、いいアクセントでしたね。

「大学の話をしましょうか」森博嗣、読了。(☆☆☆★)

2005年10月13日 22:58

 素直に見れば王様は裸です-。Q&Aを重ねるうちに、大学というシステムが抱える問題点が浮き彫りに。二十数年の国立大教員経験をもとに人気作家が酒脱に語る、今までない大学論!

 何かを考える、ということがどういうことなのか、と考えたときに、一般の読者からすれば、普段、客観的な思考というものは、すなわち万人に共通する普遍的な思考、思想のことであると誤解されがちであるように思います。一方、森博嗣といえば、その主観が一般的に言うところの「客観的」な思考に近いのが特色に挙げられるように思います。であるがゆえに、逆に少なからず凡人とは違った考え方が出来る人なのだ、と捉えられがちではないかと思います。その印象がそもそも、僕の個人的な「主観的」なイメージであるのかもしれませんが、それはそれ…。
 とかく、森氏の発言にはエッジの利いた鋭さがそこかしこにあって、それらはあくまで氏の主観的なスタイルを取って語られるのです。けれどもそれを改めて第三者の目で見る僕たちの側からすると、その表現の多くが怜悧な客観性を抱いた「主観的」なものである、何処となく捻くれたような、皮肉さをこっそりと隠し持った「含み」が常にあるんですよね。
 特に本書に関しては、Q&Aの形で森氏の回答…、すなわち考えが主旨であるので、ある程度、またはそれ以上の偏りが見受けられるのも確かです。しかし、常々氏が提言しているように、「考えること」の大切さを切実に訴える(「訴える」という表現は多分大袈裟だろうけれど)姿勢が窺えたりして、「考えること」の、その先を行こうとする者の憂いを吹き飛ばす「思考」でしょうね。

 ああ、それにしても大学の話をまとめた本なのに、どうしてこんなに読後感が良いのだろう(ちょっと微笑ましく笑うところです)。

今日の一言

2005年10月12日 19:20

 ケータイの普及により、目覚し時計の売上が落ちていないだろうかと思案。
(実際かなり役立っています)

今日の一言

2005年10月12日 19:19

 ライトダウンだって綺麗じゃない?

今日のフォト:「ソリッド・シチュエイション」

2005年10月11日 21:59

 ロッカールーム。
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