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「しにがみのバラッド。」ハセガワケイスケ、読了。(☆★)

2006年05月31日 09:02

 白い少女の死神が主人公。魂を選別し、命を運ぶ役割であるはずの死神の彼女が、冷たく悲壮な運命を背負う人間たちに、時には表情乏しく任務をこなし、しかし時には涙を流して人々を導く。そんな「変わり者」の死神の織り成す、哀しく優しい物語。
 なのですが。物語を読む以前にハセガワ氏、本書は小説として未完成です。センテンスがやたら短いスタイルは詩的と呼べないこともないのですが、そのせいでパラグラフがテンポよく続かない。「てにをは」のミスから、地の文の人物の視点から思考からごちゃ混ぜで書かれているために、非常に読みづらい。ともすればハセガワ氏がぽつぽつと読者に語って聞かせているのでは、と思ってしまいそうな、拙い筆運びなのです。どうやらシリーズものとして順調に刊行を続けているみたいなのですが、死神の少女にバラードを歌わせるには、本書を見る限りでは技術が伴わないなあ、と思ったのでした。多分にハセガワ氏、勢いで一冊書き上げたのでしょうね。しかしセンチメンタルな感情を読者に伴わせるには、本書の雰囲気では少々、勢いが良過ぎるようです。
 作中登場する、人形のように愛された少女、トワが独りぼっちになったシーンは切なかったなあ。

しにがみのバラッド。
ハセガワ ケイスケ〔著〕
メディアワークス (2003.6)
通常24時間以内に発送します。

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「哀しい予感」吉本ばなな、読了。(☆☆)

2006年05月31日 08:59

 初読み、吉本ばなな。消化不良。うーん。
 読んでいて内容が頭に入ってこないヨー。そんなに難しいことを書いているわけではないとは分かっているのに、どうもこの本に出てくる人たちの考えていることを追うのが生易しくなかった。あと、みんな行動が突飛なのに、予定調和的なところに収まってしまうのがなんとも。しかし本書は吉本作品の中でも初期に入る部類のもので、吉本氏自身もかなり若い時代の(笑)作品であるようなので、推して量るべきなのかしら。

哀しい予感
哀しい予感
posted with 簡単リンクくん at 2006. 6. 1
吉本 ばなな〔著〕
角川書店 (1991.9)
通常2-3日以内に発送します。

「手紙」東野圭吾、読了。(☆☆☆☆☆)

2006年05月30日 09:19

 雑感。
 天涯孤独の兄弟であり、弟の就学費を作るために空き巣を試みようとするが、家人に見つかり、思わず殺してしまう。兄が殺人を犯してしまった弟、が主人公。「犯罪者の弟」という強烈にして執拗なレッテルが、人生の分岐点で常に付きまとう非情な命運。就学、就職、恋愛、家族、様々な場面で弾劾され、人生の道筋を見失いかける主人公。彼の元に届く、兄からの手紙。「受刑者」からの手紙を厭う思いと、そのそもそもの動機が自分にあることとのジレンマが、それに本心を書いた返信をさせない…。
 犯罪は、してはいけないこと。その罪を償うために、受刑者は刑務所で刑期を務める。では、犯罪者の近親者は、どうあるべきなのか…? それを描いたのが、本作。犯罪に直接自分は関係がないはずなのに、主人公には何の罪もないのに、犯罪受刑者の近親者だというだけで、弟の直貴は、ある意味では「檻の中」にいる受刑者本人よりも直截に社会的な制圧、抑圧、差別を受けざるを得ない(*)。そんな、本当は目を背けてはいけないはずの「事実」が何処までも描かれていることに目から鱗。これはたまたまそうであった、という「不幸の連鎖」ではなく、そうならざるを得ないという「社会悪」に対する制裁の延長なのですね。犯罪被害者の苦しみは勿論、犯罪加害者の苦しみも、また、多くの者が描き、追求してきたものです。けれども、犯罪者を身内に持つことで、犯罪者本人と同じく罪を背負わなくてはならないという論理には息を呑みました。人を殺すということ…、いや、犯罪を犯すということ、それが、一体、どんな意味合いを持つのかを、これまでずっと軽い認識でいたのだと、本書によって重く受け止めずにはいられません。
 数々の逆境を経験し、自分たちは一体、社会の中でどうあるべきなのかを悟り、弟が心からの思いを綴った手紙を書くとき、物語は終幕を迎えることになります。ラストシーンへの流れは、胸を打たれます。この衝撃は強いですよ。

手紙
手紙
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.30
東野 圭吾著
毎日新聞社 (2003.3)
通常2-3日以内に発送します。

*追記:制圧、弾圧、と書きましたが、それは直截的なものではないですね。作中にもそういった形での困難は書かれていません。実質的には遠回しの「非難」という程度のものと思われますが、それを受ける側の精神的負担はやはり、相当大きいはず。

「新・世界の七不思議」鯨統一郎、読了。(☆☆☆★)

2006年05月28日 22:54

 歴史ミステリ「邪馬台国はどこですか?」の姉妹編となる一冊。場末のバーに集う面々はそちらとほぼ同じ、マスターの松永は今回は謎を提出する役どころ、歴史学者の静香はキツイ毒舌を交えながらも正統派の講釈を述べ(ちょっとツンデレ入ってるように思うのですが)、なんでもない普通の男のような宮田が、それまで知りもしなかった謎をあっさりと解いてみせる。これが普通のミステリではなくて歴史の謎を取り扱ったものであるために、そんな簡単に絵解きがされてしまってしまっていいのだろうか、という戸惑いを禁じえない短編集となっています。それくらい諸説はトンデモ系ではあるのですが、突拍子もない歴史の「紐解き」の意外性がかえって痛快であります。
 タイトルから察するに、世界の「七不思議」の謎解きをしてくれるのかと思っていたら、登場するのは、アトランティス大陸、ストーンヘンジ、ピラミッド、ノアの方舟、中国は秦の始皇帝、ナスカの地上絵、イースター島のモアイ像の七つ。正確なところの「七不思議」とはちょっと違うものも混じっているよう。それでもそれに匹敵するような七つの大きな世界史の謎に解釈が与えられるのですが、これが突拍子もないのは間違いないのだけれど、「そういう見方もあったのか」と思わずにはいられない新解釈ばかり。本書は古代史の権威、ハートマン教授の視点で話は進んでいきますが、恐らく正当な学説とは大きく外れた解釈だらけなのでしょう、「そうに違いない!」と膝を打つには至らないものが多いのも確かなのだけれど、それは酒を飲む場での一興の末の大解釈だということで…。
 最後に待つ、本書全体を支えることにもなりかねないある説は、本書で一番「大きく出たな」と思わせる考えを基にしていますが、これがもしも真実で有り得るとしたら…、そう考えただけで、歴史は物凄く面白いものとして受け止めることが出来そうです。本書の持つ価値というのは、そういうところにこそ、あるのだと思う。

新・世界の七不思議
鯨 統一郎著
東京創元社 (2005.2)
通常2-3日以内に発送します。

「さまよう刃」東野圭吾、読了。(☆☆☆☆)

2006年05月26日 15:02

 不良少年たちに蹂躙され死体となった娘の復讐のために、父は仲間の一人を殺害し逃亡する。世間の考えは賛否が大きく分かれ、警察内部でも父親に対する同情論が密かに持ち上げる。はたして犯人を裁く権利は遺族にあるのか?

 雑感。
 少年犯罪と、その犯罪被害者である者との対立の構図。殺人犯人への被害者家族の復讐は許されるものなのか、仇討ち行為は正当なものなのか、その者の苦渋と愚劣な犯人の生態と社会復帰、更正の不可能性を鑑みて過剰保護であることを認め、逆襲の殺人もまた赦さざるを得ないものなのか、どんな事情があっても、絶対的に、どうあっても、殺人は反社会行為としてあってはならないことなのか。では人道的なスタンスを取ろうとするのならば、甘っちょろい倫理観に縛られることなく、関係者の心の苦しみを解放し、救うことは、果たして出来るのだろうか。
 テーマは物凄く重く、本書に限らず、どんな媒体で「殺人への復讐」を扱ったところでも、それが赦されるか否か、という問いに関しては、「他人事」でしか捉えられないのが人情なのです。本書においても、被害者の父親である長峰の心情に同情すればするほど、読者は彼の行為を安易に批判出来なくなる。けれども賛成すれば「法律の異議がなくなる」となり、否定すれば「綺麗事」となるのが社会論なのです。マスメディアの報道のように、どうしても中間寄りにならざるを得ない意見が幅を占めてくる。理想論だけでは事実に対処しきれないし、感情論だけでは多くの人を割り切ることが出来ない。必ず、ジレンマは発生するものであるだけに、殺人と少年法が同時に絡んでいる本書は気軽な思いで読み切れるものではない。
 本書の趣旨は、誰かの行為が許されるか、というのではなく、その状況がそのまま自分に当てはまったときに、自分はどのようなことを思い、どのような行動を取るだろうか、ということを訴えることにあるのだと思います。報復行為を行おうとするときに、人は、殺されてしまった人のためではなくて、残された自分のために、何らかの理由をつけて(それが自己満足だと分かっていてもなお)、極北の行為に自らを駆り立てていこうとする。小説としての完成度を高めるために、やはりこうなるしかなかったのだろうか、と思わせる結末は、読者としては物足りないところもあるのですが(捜査陣の内通者の存在など、実に些細なことで無理にミステリ味にすることもなかったと思う)、大筋のところで鬼気に迫る(胸の悪くなるような)リアリティがあって、東野氏が現代の「犯罪とそれを取り巻く状況の在り方」を、犯罪小説の在り方を模索することによって追求しているようにも思えたのでした。

さまよう刃
さまよう刃
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.27
東野 圭吾著
朝日新聞社 (2004.12)
通常2-3日以内に発送します。

今日の一言

2006年05月25日 23:12

 「しっぺ」は暴力ですか?

「魔神の遊戯」島田荘司、読了。(☆☆☆☆)

2006年05月25日 18:00

 未来の記憶を描く画家、ロドニーの故郷で起きる、連続殺人事件。死体はまるで怪力で引きちぎったかのような凄惨な姿をし、ティモシー村の各地にばら撒かれる。村に鳴り響く咆哮。この異様な犯罪は魔神の所業なのか…?
 いやあ、御手洗シリーズで「探偵=犯人」というトリックが用いられるとは夢にも思いませんでした。事件が起きて教授が現れて、ミタライと名乗ったなら、読者は彼が御手洗潔であると信じて疑わない。真犯人が誰か、ということまで合わせて言えば、まさに僕は本書の冒頭から作者の罠にはまっていたわけです。「魔神の犯罪」の犯行方法は実は意外とシンプルなもので、仰々しく物々しい舞台の雰囲気に飲まれるほどに、様々な装飾が目くらましになっていたことに後々気づくのですが、「未来の記憶の画家」、ロドニーの「記憶」の在り処と結び付けて考えていくと、彼の話を御手洗が聞いたのは、実は村で事件の発生する随分前のことであるのだから、読者には幾つもの手掛かりが与えられていたことになるんですよね。「魔神の遊戯」というタイトルも、読了後には稚気を含んだ意味合いを帯びているように思えます。
 ロドニーの絵は未来の予知などではなくて、既に決定された(彼にとっての)事実である、という解釈を出来たかどうかで、ティモシーでの連続殺人事件の見方も変わるように思います。とかく、読者は彼の手記が後々登場するこのを見て、これはいよいよ犯人はロドニーなのではないか、彼の絵は犯罪の予告だったではないか、と疑い出すのですが、いざ村での事件が起こると、この構図が逆である可能性を疑わない。これら、様々なものを思うと、実は御手洗にとってのこの事件は、読者が思うほどに難解なものにはなっていません。驚嘆の不可能犯罪と思われていたものが、細心の注意と大胆な欺きによって構築された悪魔の所業であったところで、御手洗にはひとつの大きな謎を解くための布石にしかなり得なかった。ううむ、お見事…。

魔神の遊戯
魔神の遊戯
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.25
島田 荘司著
文芸春秋 (2005.11)
通常24時間以内に発送します。

「フルーツバスケット・20」高屋奈月、読了。(☆☆☆☆☆)

2006年05月24日 09:49

 大きく…、とても大きく物語は動き出したようです。壊れ物に触れるようにして今を変えることに怯え続けていた者たちが、少しずつ「今」という時を、そして「過去」に捕われ続ける思いが明らかになるに連れて、更なる混沌の気配が色濃く漂ってきています。「神」であるはずの存在の揺らぎによって、善と悪の価値観が反転しようとしている…、いや、そうではないな。その境目が曖昧になり、やがてはなくなろうとしているのか。生きとし生ける者の内側に残存する、死に絶えてなお強く強くその在り処を発し続けているものの存在が、絶望と希望とをない交ぜにして生きようとする者に見せ付けているのだ。
 過去から現在へ、そして未来へ。様々な過去の断片が繋がりを見せ始め、その一方では強い「絆」で結ばれたものが散ろうとしている。けれども、十二支の呪いが少しずつ解放されていくことにより、彼らは「絆」という縛りでしか近寄れなかったお互いに、自らの意思を持って歩み寄ることが出来るようになっていくはず。本当はか弱き当主の少女が、いつそれに気づき、自分も十二支と同じ目線で世界を見つめることが出来るようになるのか、というのが大切なことだと思われます。
 そして、この物語の主人公、透。彼女をこの物語に誘った、最も先端たる部分の過去が、本書にて明かされることとなりました。過去と現在、生と死、選び、選ばざるということ。物語はまさに佳境の域に突入した予感を読者に禁じません。多くの運命の糸に翻弄されて、全ての境界線上に立っている少女は、何もかもを救う新たな神と成り得るのか、…それとも。

 あまりに本編がシリアス過ぎて、
紅葉に燈路、呪いが解けて良かったねえ~
 なんて、とても軽々しく口には出せそうもありません。
 十二支に掛けられた呪いは、思うに、「十二支に掛けられた呪い」であると同時に…、いやそれ以上に、「十二支を統べる者が、十二支を統べるためになければならない呪い」なのであって、見方を変えると、たった一人の「神」たる当主を縛り付ける強迫的な「呪い」でもある、ということに気づくことが出来ます。だから、誰よりも力を持つ一方で、誰よりも弱い。だからアキトは、あれほどに十二支を従えることに固執し、彼らに離れられることを恐れたのではないかと思うのです。
 自分なりの解釈による、個人的な希望としてのラストシーンが浮かんできました。必要なのは、やはり「絆」。しかしこの言葉は、これまでに物語中に出てきた「絆」ではありません。もうひとつの意味の、けれどもひとつだけでない、「絆」が必要なのです、きっと。

フルーツバスケット 20
高屋 奈月著
白泉社 (2006.5)
通常24時間以内に発送します。

「εに誓って」森博嗣、読了。(☆☆☆+★?)

2006年05月20日 20:55

 山吹早月と加部谷恵美が乗車していた高速バスがジャックされた。犯人グループは、都市部に爆弾を仕掛けたという声明を出していた。乗客名簿には「εに誓って」という名前の謎の団体客が…。森ミステリィ、Gシリーズ第4弾。

 バスジャック、という、絵的にも非常に動的な素材を持ち出してきたGシリーズ。その割にはやたら静かに静かに事は運んでいく印象があるので、肩透かしがあるかもしれません。緊迫感がいまいち感じられない(巻き込まれた加部谷恵美、山吹早月、両名も同じ事を思うのですが)ところに、本シリーズの何処か冷めた視線を共有する感覚が伺えます。バスが2台あるのでは、という辺りまでの推察は、かなり多くの読者が勘付くことが出来るのでは、と思われます。捜査陣が犯人の側に仕掛けた罠が読者には叙述トリックとして映る、というアクロバティックなトリックが炸裂! …と言っていいのか判断に惑うのですが…。
 これまでの三作もそうでしたが、今回も根底には「自殺」の匂いが色濃く香ります。自殺だからといって事件性の薄さを指摘出来るわけでもなく、それが逆に謎を呼んでいるのは間違いのないこと。けれども、どうにもミステリらしくないミステリの表情を装っているのは、今回も同じ。ちょっと不覚にも驚いたのは、シリーズの探偵役を担う海月及介は今回、それらしいことを時折口にするだけで、「解決役」にはならなかったということ。同時に、警察との連絡役を務めることになった西之園萌絵らも、一応の事件の真相に自ら辿り着くも、警察の計画の範疇で思案に明け暮れていたに過ぎません。最終的には、素人探偵たちの考えの及ばない距離に、犯人の動機や、真犯人がそもそも誰であったのか、というところにまで「彼らの出る幕ではない」とでも言うかのように、物語は幕を下ろしてしまう。事件の当事者であった加部谷と山吹の立ち位置を思うと、この事件にはトリックらしいトリックなどは、何処にもない、とも言えなくもないのです。これはやはり、「ミステリ」を読み慣れて、読み込んで来た人ほどに読後感が奇妙な味わいをもって感じられることだろうと思います。

 これほどに意味深に読めるくせに、それがただただ「意味深」という印象のみを抱いて進んでいるGシリーズ。シリーズ読者…、森博嗣読者としての経歴が長ければ長いほど、「森氏はこのシリーズを通して何を書こうとしているのだろう、シリーズ全体に杭を通しているに違いない裏トリックは何なのだろう」などと穿った想像を繰り広げているに違いないので、それに応え得るギミックを盛り込んでくれているのか、或いは…、読者の歪んだ期待をまるっきりかわしてしまうのか、穿った読者の見所です。

εに誓って
εに誓って
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.20
森 博嗣著
講談社 (2006.5)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2006年05月19日 17:02

 白髪を見つけたら、
「銀髪生えた!」
 って言い張ればいいんじゃない?

「九月は謎×謎修学旅行で暗号解読」霧舎巧、読了。(☆☆☆+★?)

2006年05月18日 21:09

 霧舎学園2年生の2学期最初のイベントは京都への修学旅行。琴葉と棚彦は学園理事長のさしがねにより、ある秘宝を探す羽目に。プリクラに書かれた暗号を解く鍵は? 傑作学園ラブコメミステリ、9月のテーマは暗号解読!

 霧舎学園ミステリ白書、全12作の折り返し地点。
 何故かしら月に一度、殺人事件に巻き込まれる羽月琴葉と学園の面々。今回は京都へ修学旅行に出掛けた折に遭遇する、ある財閥の財宝の在り処を示した暗号解読と、それに絡む誘拐事件。読み始めた冒頭から疑問だったのですが、どうして彼女たちが事件に関わることとなったのか、という導入部がとても曖昧ではないかな、と思うのですけれど…。しかし侮るなかれ、後々、思い出すと「ああ、あのことがここに生きてくるのか!」と息をつく場面が必ずやってきます。
 本の栞や学生証が「おまけ」として付いてくるのも、このシリーズの特徴ですが、これがなかなか凝っていて謎解きに重要な役目を果たすから見過ごせない。今回は舞妓のプリクラ…、それに書き込まれた将棋の手(棋譜)が、キーアイテムとなっています。シリーズ読者が見れば、9枚のプリクラのうちの1枚は別人が映っていることに気づくでしょうけれど、それは本書の謎解きの確信を突く一撃には物足りないでしょうね。このプリクラを用いた「暗号事件」は京都と霧舎学園の二箇所で同時に進行するのですが、登場人物が「ミステリとしての駒」であるのは、このシリーズが「新本格」である以上は仕方がないことなのでしょうけれど(大枠で言えば大概のシリーズミステリや漫画に比べたら、まだ遭遇率は低い方だけれど、どうにも「作者に都合の良い展開」のための行動が目立つ)、どう考えても「ミステリのための物語」で、「事件の解明のために動いている素人探偵たち」の動き、そして「探偵たちに事件を解明されるために謎を残す」かのような犯人の動きが多い…。かと思えば、「暗号の作り手はわざと思わせぶりな手掛かりを多く残して、僕たちを惑わせようとしているんだ」なんて解説も飛び出したりで、何処まで見越しているのか分かりません。結論から言えば、その多くは勿論、伏線として作者によって仕掛けられたものであるため、「本格魂」溢れる霧舎氏の「神の手」たる所業であるわけですが、同時に氏の一番の弱点ですね。
 今回の話の最重要事項である暗号解読ですが…、他にも幾つか仕掛けられたトリックの中に埋没してしまっている感が否めない。回転する六角館や動く彫像には「またそういう力技でくるか」と苦笑いしてしまったほど(二階の窓から飛び落ちて、庭の像に突き刺さり死ぬ、というのは無理がないだろうか)。紙面を一番費やしているのは確かに暗号解読なのですが、真相が明らかになったときのインパクトの面から言えばメイントリックを張るには弱いでしょうね。本書の一番のトリックは、実は暗号ではなくて、3人の探偵のうちの一人を務める「なるさん」に仕掛けられた性別誤認の叙述トリックであると思われます。「九月」のテーマが暗号であることからすれば少々肩透かしを食った感じですが、本シリーズが「開かずの扉研究会シリーズ」とリンクしていることを知っていると、「なるさん」イコール、「研究会」の鳴海雄一郎のことではないかとミスリードされてしまう(男性であると思い込む)、という二重のトリックであるわけです。しかしこれは、両シリーズを読んでいないと全く通用しない「身内ネタ」になりかねないのが残念です
 終盤の真相解明パートは、先急ぎの趣すらあるくらいで、実はトリック満載で豪華な一冊なのに、メインが暗号解読、と銘打たれているために損をしているように思います。謎解きが終わってから物語が終わるまでの余韻が殆どない、ざっくばらんな終幕を惜しむ気持ちもありますね。

九月は謎×謎修学旅行で暗号解読
霧舎 巧著
講談社 (2005.9)
通常2-3日以内に発送します。

「キャンディ・フラワー」山田デイジー、読了。(☆☆☆★)

2006年05月17日 21:41

 実はちょっとした知人で、何度か小説の挿絵を描いて頂いたこともある方なのですが…、結構前にプロデビューしていたと知らず、慌てて本を取り寄せてしまいました。凄いなあ…、羨望と嫉妬が入り混じった一読者で純粋に読むことが出来たか申し訳なく思うところもあるのですが…、その知っている氏と同じイメージがそこにありました。「可愛い」という言葉が一番最初に出てくるな。良い意味で変わってないな、と思った次第。
 真っ当過ぎるくらいに真っ当な少女漫画で、読んでいると目許口許が綻んでしまいます。お話の方は「若さ溢れる」なんて紹介をされそうな青春真っ盛りの少年少女が主体の学園モノで、誰もが真っ直ぐで、でも時々ひねくれ者の振りをする。でもそれは「嘘」じゃない。実は今時、貴重なのではと思ってしまうような、もどかしい足取りで筋道を辿る恋愛模様。読者のニーズが不要に混入していない、デビューしたての作者の描きたいものが詰まった一冊なのでしょうね。個人的に気に入っているのが、山田氏の「困ったような笑顔」の置き方が巧いということ。あと、僕は正直、女の子よりも氏の描く「男の子の笑顔」が前から好きで、本書にもそれはたっぷりと健在でした。もうみんな可愛いぜ~(何かちょっと、ニュアンスが違うような)。
 長編漫画を読む日が来るのを楽しみにしています。

キャンディ・フラワー
山田 デイジー
講談社 (2005.6)
通常1-3週間以内に発送します。

「五十円玉二十枚の謎」若竹七海、他、読了。(☆☆☆★)

2006年05月16日 21:14

 書店に現れた男は、真っ直ぐにレジに向かってきた。彼は五十円玉ばかり二十枚を取り出して、千円札に両替するように頼むのだった。そそくさと立ち去る土曜日の珍客は、しかし次の週も、また次の週もやってきた…。この男は一体何者なのか、大量の五十円玉の出所は…? という現実にあった出来事の真相を解明すべく、「五十円玉二十枚の謎」競作アンソロジーとして刊行された一冊。
 若竹七海氏がかつて体験した「日常の謎」系ミステリとして、この謎はありそうでなさそう、というギリギリのラインで面白く読みました。プロのミステリ作家は勿論、一般公募から選び抜かれた優秀作が本書には収められています。そのどれもが奇抜な論理で「真相」を暴き出していて面白かったです。そういう話の流れで真相を結び付けてくるのか、と大喜びしそうになったものも幾つか。
 ですが…、やはり、というか、そのどれもが「『五十円玉二十枚の謎』というテーマで書かれたミステリ」以上のものにはなり得ていないのですよね。限られた情報、という条件下での物語り作りがそもそも難しいこともあるのでしょうけれど、オリジナルの設定が持ち出されて「こういう真相だったのだ」とぶち上げられると、それは創作の色があまりに濃くなってしまって、本質的なところで本書の根底でやりたかったことから外れてしまうようにも思えてしまったので…、まあそれは、本書を「ミステリ」たらしめている所以なので、優秀作の数々も、「ミステリとして」面白いから選抜されているのですから、案外、真の真相は殊の外、単純で詰まらないことであったりするのかもしれません。この辺りのことは読者がとやかく言っても詮のないことだと分かっていますし、「両替男」本人様が名乗り出ない限りは推理の域を絶対に越えることはないのでしょうけれど。

競作五十円玉二十枚の謎
若竹 七海ほか著
東京創元社 (2000.11)
通常2-3日以内に発送します。

「町長選挙」奥田英朗、読了。(☆☆☆☆)

2006年05月15日 12:32

 離島に赴任した精神科医の伊良部。そこは、島を二分して争われる町長選挙の真っ最中だった。伊良部もその騒動に巻き込まれてしまい…。「空中ブランコ」「イン・ザ・プール」でお馴染みの、トンデモ精神科医の暴走ぶり健在!

 天然すっとぼけ滅茶苦茶トンデモ神経科医、伊良部一郎シリーズ、三冊目。誰が見ても幼児が変態を気取ったような単細胞な言動を繰り返し、彼を訪ねた患者は勿論、その周囲の人間を困らせることしかしないくせに、時折、唐突、心理を突いた発言をして彼らを驚かせ、頷かせるところも併せ持つ。これが伊良部の「天然」たる所以ですね。実のところ彼は何も考えていないのでしょう。近くにいると忌々しいことこの上ないのに憎めない、という「困ったさん」。それが(口にするのもおこがましいのですが)彼の一番の魅力、なのでしょう。…いや、やはり作中でも言及されているように現代では「珍しいもの」なのかな。常識の枠には到底収まりきれない、それも能天気な原動力があるから、敵を作らない。
 先頭から三作ある短編は、実在の人物が即座に脳裏に浮かぶ、ある意味ではこの上ないイロニィに満ちたものなのですが、伊良部が絡むと途端に面白くなるから不思議。誰もが所詮は「現代に生きる人」なのだな、と思わせられます。このシリーズの各々の物語の主人公…、つまり伊良部の患者となる者たちは、医学的な症例に照らし合わせると強迫神経症に当てはまるものが多いようです。現代社会の病理は肉体的なところよりも精神的なところを重きに見ることによって、「病は気から」という格言を根底から見直す逆算的な部分があって、こういうエンタメ系の本にも、実は奥深く観察され得る病魔の在り方が見えてくるようで面白いですね。
 表題作「町長選挙」は「いつもの」伊良部シリーズで、島の勢力を二分化して行われる町長選挙に伊良部が思わぬ形で参入する話で、はらはらしつつも最後には微笑ましく読み終えることが出来て、ついつい安堵してしまいました。切羽詰った状況で右往左往する人物の描写を書かせたら、奥田氏は凄く巧いと思うのです。読んでいるこっちも動悸がしてきそうな嫌な緊張感がたまりませんね(笑)。

町長選挙
町長選挙
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.16
奥田 英朗著
文芸春秋 (2006.4)
この本は現在お取り扱いできません。

「ハードボイルド」原りょう、読了。(☆☆☆★)

2006年05月14日 12:20

 「ミステリオーソ」に続く「ハードボイルド」なエッセイ集。堂々毅然としてますね。

ハードボイルド
原 リョウ著
早川書房 (2005.4)
通常2-3日以内に発送します。

今日の一言

2006年05月13日 10:25

 チョコレートをより楽しむためには、口の中で舐めて味わうべきか、それとも噛んで味わうべきなのか。

チャットの「。」

2006年05月13日 10:24

 今週は書くのをサボり気味なので、思いついたことを書いていこうという日。
   ***
 ひと昔前…、といっても、僕が本格的にネットに手を出した頃だから5年くらい前のことですが、初めてチャットをした頃のことです。その頃は個人的に小説を量産していた時期でもあって、ヤフーのチャットに参加している際に、僕の発言にはある特徴的な部分がありました。

カズイ:こんにちは~。
マト:こんにちは、お久しぶりです
カズイ:どもども。
マト:2ヶ月ぶりくらいかな
カズイ:そうですね。ご無沙汰です。
マト:冬眠でもしてたんですか?(´д`)

 こんな感じ…、注目すべきは、僕の発言の語尾。発言の毎度に、「。(読点)」が付いています。これが癖でした。殆どの人はゲームにしろチャットのサイトにしろ、「。」を語尾に付けることはしません。今思えば面倒なことをしていたように思います。
 乱立的にスレッドが幾つも立ち上がり、物凄い速度でコメントが書き込まれる2ちゃんねるなどを見ているとよく分かるのですが、その多くはその瞬間瞬間に閲覧者が思ったことをそのまま書き殴っていくような様相が見て取れます。無論、2chは「掲示板」としても異質で突出した性質のものなので一概に言い切るのもどうかと思うのですが、ネット上における「掲示板」の多くは、そこに書き込むことで自分の意見をネット上に反映させることに最たる目的があると言えるでしょう。場所によっては閲覧する者の時間差があるとはいえ、ある種、不特定多数の人と会話をする機能を見出していて、書き込まれるものも自然とひとつの文章である。
 一方で、ほぼリアルタイムで他者と遣り取りをするチャットの場合、インターネットのそもそもの利便性を思えば、「」(←鍵括弧)が必要ない会話文が連なる空間で、その内容はともかく、「会話」としての文法的な厳密な意味合いはかなり薄いものだと思います。そこにはある程度の即時性が求められると言っていいでしょう。それはつまり、多少のタイピング能力がなければ「会話」を滞りなく進めることが出来ない、という技術の問題が第一にあって、チャットにおいて画面で繰り広げられる文言は、きっちりとした「文章」であることは絶対条件ではないということ。だとすると、ひとつのセンテンスを打ち込んだ際に、句点はともかく、読点をも逐一打ち込むことは少々の「無駄な労力」がある(「はい」という相槌ひとつにしても、「。」を画面に反映させるためには、一度変換を確定させなければならない)のだろうな、と思ったのでした。
 それを承知で、チャットの素人であった僕は、一々、文末には「。」を付けて発言をしていました。これは見る人によっては鼻に付くところもあったのでは、と思われます。「。」が付いているだけで、なんだか「こいつは変に俯瞰したものの言い方をするな」と気取った風を勘繰られてしまいかねない。単純に「面倒だから」という一言で片付くのですが、不特定多数を相手にしていく中で、そういうことは(あまりいい意味でなく)小さな個性になっていたかもしれません。
 今は(「チャットで発言をする、ということの意味合い」だなんてものは一々考えませんが)、その癖は抜けて、文字通り垢抜けた滞りないチャットをしている次第。

今日の一言

2006年05月12日 23:43

 日本語で会話をする際に「すみません」「ごめんなさい」という言葉を用いがちな状況では、意外と「ありがとう」とそれらを言い換えることが出来る点に注目したい。

「ミステリオーソ」原りょう、読了。(☆☆☆★)

2006年05月12日 10:31

 独自の見かた、考えかたをする「へそ曲がりの作家」原りょうが、好きな映画や音楽や本などについて縦横無尽に語りつくした初のエッセイ集。小説以外の沢崎シリーズを二篇、さらには渡辺が主人公となった未発表初期短篇も併録する。

 エッセイ集「ミステリオーソ」を文庫化に際し増強二分刷されたうちの一冊。自伝的エッセイやジャズ、映画についての文章がふんだんに盛り込まれた本作は、唯諾々とはせず決して他者に媚びない、様々なものの考え方やその大元となる氏の「生き方」(生き様、とは言わないほうがいいでしょうね)が訥々と書かれています。ハードボイルド作家としてとても「らしい」と読者に頷かせるでしょう。真面目な性格で、でも不器用で、多少堅物で、自分の信じる観念は他者には譲らない。けれども、これを「如何にもハードボイルド作家らしい、男らしいな」などと安易に呼んでは氏に失礼に当たるでしょう。原氏の文章だけを読んで「ハードボイルド作家らしい」と言うのも間違いだし、そこに「男らしさ」を見出そうとするのもまたおかしい。そういう安っぽい形容でない、けれども氏の著作を読んだ者が「彼らしいな」と思うに当然たる文章が数多く、それはつまり、そこには「嘘がない」ということが読み取れる事実があり、「彼だからこそ」の数々の和製ハードボイルドの存在があるのだという感慨が一読、湧いてくるのです。
 彼の語るジャズや映画は、決して万人に共感出来る「通念」ではないでしょう。それらは氏の多少「お堅い」性格による個人の「好きなものに対する姿勢」であって、何が良い、良くない、という考えを「意見」以上のものとして読者が信じてはならない。けれども原氏が現在となっては「古典」である数々の小説や音楽に心酔したように、それを後から知った読者が興味を持ち、やがて共感を得るようになっても、それはまた悪くはないと思います。文学や音楽が芸術であるという事実は、(本物の「芸術」がその中のどれくらいを占めるのかはさておいたとしても)真実であることは確かだから。

 実際のところ、読了後、どうしてもとにかく「ジャズ」が聞きたくなって、手近なところでインディーズの音楽サイトを漁っている本日の僕。

ミステリオーソ
原 リョウ著
早川書房 (2005.4)
通常2-3日以内に発送します。

今日の一言

2006年05月11日 23:56

 今年も「五月病」がどんなものだか自覚出来ずにいます。

今日のフォト:「季節のお写真」

2006年05月11日 20:58

 たまにはストレートに。
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「死神の精度」伊坂幸太郎、読了。(☆☆☆+★?)

2006年05月11日 19:53

「俺が仕事をするといつも降るんだ」 クールでちょっとズレてる死神が出会った6つの物語。音楽を愛する死神の前で繰り広げられる人間模様。『オール読物』等掲載を単行本化。

 現代ファンタジーでもある「死神の探偵小説」。1週間後の死を予定されたものの「死の判断」をするために派遣された死神、千葉。地上に降りるときには必ず雨模様の天気となる不思議な命運を伴う彼の前で起こる、奇妙な事件であったり事件でなかったり…、とかく、人間でない彼の目には、人間の言動は逐一不可思議に映るもので、彼の視点で語られる、「予約された死者」たちと彼との、奇妙な遣り取りが綴られた連作短編集。
 謎が先にあってそれを解くための物語がある、「本格」ミステリではないのですが、千葉が調査を始めると不思議と見つかり出す、ちょっとしたこと、では終わらない僅かな「非日常」が、なんとも「死神」という存在の非日常と釣り合っているようです。表題作「死神の精度」を読むととても頷けるのですが、死神たちの、人間の死を判断する「精度」はとても適当…、適切、ではなく、テキトーなのです。これによって、常識としてある死生観が、つまりはそれと知らず死に誘われる人々が取る行動が、人間をある種、冷めた視線で見つめる死神の一人称語りによって、少し角度を変えて面白く見ることが出来ます。死神たちが何より好むのが「ミュージック」つまり音楽だというのも、本書の雰囲気を暗くすることがなくて好ましい。
 読み進めるうちに本書の全体を貫く仕掛けが幾つもしてあったり(それはミステリとしての「どんでん返し」ではないのですが)、多少出来過ぎの感もあるラストシーンはありますけど、一冊の読後感に関しては伊坂氏は期待を裏切りません。

死神の精度
死神の精度
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.12
伊坂 幸太郎著
文芸春秋 (2005.6)
通常24時間以内に発送します。

「推理小説」秦建日子、読了。(☆☆)

2006年05月10日 18:50

 脚本家として有名(のようですね。僕は個人名としては知らなかった)な氏の、小説デビュー作。これが「推理小説」というタイトルのミステリで、それだけでこのジャンルの全ての著者、そして当然ながら読者の興味と挑発を煽るような存在となる一冊となっています。けれども一読…、タイトル負けは否めないでしょう。
 フェアか、アンフェアか。リアリティがあるか、それにはオリジナリティがあるか。本作でおきる連続殺人事件の犯人の頭にある一番の信念は、これであろうと冒頭から何度も強調された記述が目立ちます。ミステリにおける公平性、そして現代社会の中での「殺人事件」の現実性、出版社に届けられた小説の原稿の通りに行われる殺人は、一体何の目的のために続けられるのか…。もしかすると秦氏の確信犯的所業なのだろうとは思うのだけれど、やはりきっちりフェアプレイの精神が一冊を貫いているとは言えないように思う。ミステリとしてのフェアとは何なのか、物語としてのリアルとは何なのか、を作中の人物が問う場面がありますが、同時に、作中作である「推理小説」において、恐らくは犯人の一人称で、この小説はアンフェアであるのかもしれない、などという記述が出てくるのです。その時点で、多くの読者は本書にフェアプレイを期待しない。本格的な「ミステリ」として体裁を、本書は取り繕うとはしていない。
 事件を止めたければ、その小説の続きを落札せよ、と犯人から宣言された警告が既に途方もなく、それを受けた報道、出版の動きも、利害の追求のみで沈黙を守るのみ(恐らく犯人である瀬崎が出版関係者であることを考えれば、「推理小説」を3000万円で落札せよ、という交渉では関係業界は動かないと知った上での「釣り」だったと思うのですが)。犯人の動機が始終曖昧なのも気になるし、本書で探偵役を務めることとなる女性刑事の雪平夏見も、実に奇抜な人格の持ち主であるし、破天荒な捜査の仕方をする人物だという意味では興味深いのですが、ページが進むにつれて「普通の女性」の枠に収まってしまう。ミステリらしい「種明かし」はせいぜいジッポライターくらいのもので、事件の真相を知ったときの快感は、決して大きくなり得ない(犯人がフェアプレイについて言及した直後に「自分は犯人ではない」と嘘をつくことを踏まえても)。
 改めて考えてみると、僕の勘違いでなければ、何処を読んでも、本書は「推理小説」ではないようにしか思えないのです。となると、本書で秦氏が書きたかったのは、事件の記述や手掛かりの出し方、探偵役の「推理」といったところで、ミステリとしてフェアプレイの精神に則り、事件を描き、探偵を描き、彼女が事件の解決を導くプロセスを描く、「普通の推理小説」ではなくて、まさにフェアとアンフェアの境界線に挑戦したのでは、と思うのです。それは僕の本書を読んだ際に感じた希望でもあり、そうでなければ本書はただ「アンフェアだ」という一言で切って落とされかねない。事件を繋ぐ鍵となった栞の文面「アンフェアなのは、誰か」というのは、事件の犯人と、本書の作者である秦氏のことを指すとしか思えないのです。それゆえ、全てが秦氏の確信犯でなければ、本書の持つ意味合いは余程薄れてしまうと、僕は危惧する次第。

 そもそもなのですが、本書は「脚本」の域を越えていないと思われます。記述の視点はふらつくし、思考が三人称の地の分に飛び出てくるし、あまりテンポのいいものではなかったです。或いはそれすらも秦氏の狙いの範疇で、本書の持つもう一つの意味が、「リアリティ」の境界線であったとしたら…、勘繰り過ぎでしょうか。だとしたら尚更、本書のメインタイトルは「推理小説」ではなく「アンフェア」にするべきだったと思うのですが…。

推理小説
推理小説
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.10
秦 建日子著
河出書房新社 (2004.12)
通常1-3週間以内に発送します。

「ロマンス小説の七日間」三浦しをん、読了。(☆☆☆)

2006年05月09日 20:09

 主人公のあかりは海外産ロマンス小説の翻訳家。お約束の正面突破である起伏に乏しいストーリーをそのまま訳すことについ躊躇いを覚えてしまったことが切っ掛けで、彼女の紡ぐ物語は少しずつ乱れ始める…。
 恋人である神名との間に突然生じた諍い。ささくれ立つ気持ちを小説の主人公たちにぶつけてしまうあかり。翻訳家とはいえ、小説家である彼女は、物語をその恣意のままに出来る作者という存在でもあるわけです。けれども「翻訳者」であるという縛りによって、彼女の創作は元来あるべきストーリーを無理矢理、彼女が望んだストーリーに書き換えられ始めることとなる。これは当然、物語の一種の破綻でもあるわけで、あかりは「何をやっているんだ私は」という懊悩に導かれるのですが、物語の変化が、やがて現実のあかりたちにも逆説的に影響を与え出すのが面白い。現実世界における己の恋愛事情のもつれによる感情の揺らぎが生じさせた、物語の変化。それは、恋愛をすることに慣れ始めた男女がときに感じる、刺激的な恋愛を望む野性的な感情にも似ていて、そんな無謀さが創作という形で滲み出る辺り、本書が「ロマンス小説」であるのだということを忘れさせないひとつの要因になっていますね。
 神名と喧嘩した時の感情の猛りのままにあかりがウォリックを殺してしまうくだりとか、アリエノールがシャンドスに夜這いを掛けに行くくだりを読んだときには、こんなことにしてしまってどう彼女は収拾を付けるつもりなのか、とどきどきしてしまいました。どう考えても本来の結末にはなり得ない方向に話を創作してしまって(しかしそれは元々の物語よりも余程面白く読めただろうものだったけれど)、まさかそのまま見事に物語を書き切って脱稿してしまうのではなかろうかと思ったのですが、そこまでの力技は見られませんでしたね。それを可能にする何らかの手立てが書かれていたら、本書は物凄い傑作になったかもしれないのですが…、それは無謀というもの。
 歴史モノのロマンス小説という、ある意味ではファンタジー(幻想物語)である「恋愛小説」を書くあかりにとって、現実の恋愛が全て、美しい恋、つまりロマンスな恋模様に成り得ることはないのだ、という認識を持っている一方で、美しい恋をしたいという理想論をやはり、捨て切ることは出来ずにいる。数々の美しい恋物語を作り出すうちに、二律背反な感情はどうしても出来上がるのでしょう。そんな「ロマンス小説」と現実との境目を良く知るあかりの「物語」が、結局のところどうしようもなく「恋愛物語」を求め、結果、本書が恋愛物語である最大の理由たり得ているようにも思うのです。

ロマンス小説の七日間
三浦 しをん〔著〕
角川書店 (2003.11)
通常24時間以内に発送します。

ワーニングフォーエヴァー

2006年05月07日 22:13

 フリーのゲームを探し回っていたら、見つけたのでチェック。元々STGは好きなのですが、これは異質で感動しそうになった。終わりのないSTG、WARNING FOREVER
 コレ、凄いです。大好き。フリーのくせに大好き。

今日のフォト:「ニューLショップ」

2006年05月06日 23:11

 何を売っているのでしょう。
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「DEATHNOTE・11」大場つぐみ、小畑健、読了。(☆☆☆★)

2006年05月06日 17:04

 なんだか月とニアの水面下での物凄い睨み合いが続いているのは確かなことなのでしょうけれど、一体、彼らが何を考えて何処まで罠を仕掛けているのかが全く推測出来ない。月vs初代Lのときのような月の悪魔的狡猾さを見せ付けられることになるのか、それともニアが月を完璧な窮地に陥れることになるのか…。
 布石、布石、布石の11巻。次巻が必見です。

Death note 11
大場 つぐみ原作 / 小畑 健漫画
集英社 (2006.5)
通常24時間以内に発送します。

「三辺は祝祭的色彩」佐竹彬、読了。(☆★)

2006年05月06日 16:59

 ごめんなさい、お手上げです。何を楽しめばいいのか分からなかった。
 世界の全ての物事には、生物無生物を問わず、そのものを認識する上での「情報」が存在し、それを把握する際に「情報」へのアクセスを加えることで、「情報」の認識の仕方に変化をさせることが出来る「情報学」ひいてはそれにより発生する「情報場」によって、本作はミステリとしての体裁は致命的なレベルにまで落ち込んでいます。それは単語の羅列により「説明」される「情報学」の意味合いの理解のしにくさが第一なのですが、それが物語の中で都合のいいように用いられているとしか思えないのが、今回の衆人環視の中での殺人事件。唐突に起こる人の死。しかしそこには、視界に映る情報を操作して空気を迷彩状態にし、堂々と犯人が犯行を成し遂げることが可能だという、反則技としか思えない大技、真相が待っているのです。しかもそれって前作と同じトリックだし。
 あくまで個人的な読後感となりますが、本作の殺人事件の動機が不明に思える(敢えて言うなら日阪道理が人を死ぬのを見て何をするか? ということに興味があった、というくらいか)し、事件の関係者も取って付けたような巡り合わせのようにしか読めず、していることは凄いはずなのに薄っぺらい。主人公たちが妙にストイックなものの言い方をするのは森博嗣氏の亜流を目指した佐竹氏のスタンスなのだと言えるでしょうけれど、結局のところ、本作で起きた事件は誰かにとって何かの意味があったのか? という苦悶が、本作をどうしても気に入られない一員となっています。叙述トリック紛い(だと佐竹氏が巻末で「ネタバレ」だと称して言及しています。ミステリを書くプロの作者が唐突に「ネタバレ」をするのもどうしても気に入らないのですが)を書きたいがための一作でもなかっただろうし。

三辺は祝祭的色彩
佐竹 彬〔著〕
メディアワークス (2005.9)
通常2-3日以内に発送します。

今日のフォト:「端午の節句に寄せて」

2006年05月05日 13:18

 道の駅、南きよさと。
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 この辺りが凄い込んでて、小さな信号機とカーブ連続の道だということもあるんでしょうけれど…、3キロくらい対向車線繋がってたぜ。

今日のフォト:「青の憂鬱」

2006年05月03日 13:34

 恥ずかしがり屋の月。
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 上半分は鏡に映っています。
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 こういう照明に弱い。
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 こういうのとか。
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