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「あめふらし」長野まゆみ、読了。(☆☆★)

2006年07月31日 20:04

 ウヅマキ商会を営む橘河にタマシイを拾われた岬。「きみが生きているのは、おれがタマシイを掴まえているから。しばらくおれのところで働いてもらう」しかし、仕事の背後に怪しい気配が…。極上の和風幻想譚。

 何でも屋の主、橘河、その番頭であり、橘川に全てを拾われた経緯を持つ男、仲村。そしてまた、橘河に魂を拾われて従属の日々を送ることになる青年、市村…。ウズマキ商会に持ち込まれる、不可思議、不審、不穏な頼み事、運命に巻き込まれ、翻弄される男たち。
 そこかしこに香る、男の匂いと女の匂い。男性と女性、或いは雄と雌の香り。長野まゆみ小説の真骨頂、四季折々の語感が漂う文章のスタイルの中に、ひたすらに言葉の綾を含み、ひたすらに感情の猛りを匂わせる会話が織り込まれています。この「含み」が、長野小説の特徴である衆道(ゲイのことですね)がまず一番に人物描写を支えていることを裏付けていて、しかしこれが…、長野氏の確信犯であるのかどうか、やたら隠語(淫語!)だらけで逆に嫌らしさを増幅させているのがもどかしかったり、含み笑いを禁じ得なかったり(一応、褒めています)。本書の場合、色々となぞらえられているモチーフはあるのですが、女性の影が多少濃いようにも思い、これまでの長野小説とはまた少し違った印象を抱きました。
 数年前からでしょうか、氏自身が模索していると公言していた文体が、本書にも十全に現れています。地の文の中に完全に会話分が同調していて、そういうものだと知らない人はまず、その読みにくさにとっつきにくさを感じることだろうと思うのですが、これが不思議と慣れなのか、いつの間にかするすると読めてしまう。元々、誰にでも読みやすい、と言えるような言葉遣いをしない作者であり、日本語特有の響きや漢字本来の意味を重視する作風から、その物語は物語そのものの意味を読み解くというよりも、その雰囲気こそを物語の価値として高めようとする意図があるように感じられるのです。不可思議な物語が一つあって、長野氏はその物語の中で派生した謎を、ある程度まで解いておいて、或いは、作中のある人物は真実を掴んでいるのに、読者の目にははっきりとした真実の形で解説しない。そういう「狡さ」が本書にも満ちているように思われます。長野氏の小説を読んでいて感じる「もどかしさ」は、そういう、場合によっては幾多にも読み取れる「物語の行方」の中の、少なくとも作者である長野氏にとっては絶対的な真実である完成された「物語」を読者に易々と提示してはくれない狡さなのだと、本書を読み終えて再認識しました。これは本書を形作る上での瑕疵とは言えないかもしれませんが…、でも、冒頭から結末までひたすら言葉を含み続ける姿勢には「僕は焦らされているな」と妙な意識をしてしまい、それもまた、確信犯的な作為が働いているのだな、と思ったのです。
 純粋に文学として読むには、色々な意味で難しいと思われるのですが、しかしかつての、ひたすらに「少年」という記号を描き続けた長野氏の姿勢とは全く違う、独特の「長野まゆみ」がここにあります。

あめふらし
あめふらし
posted with 簡単リンクくん at 2006. 8. 1
長野 まゆみ著
文芸春秋 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。
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「月館の殺人・下」綾辻行人・佐々木倫子、読了。(☆☆☆+★?)

2006年07月30日 21:56

 寸感。

 最初から、「幻夜」はその場に留まっているだけで、厳密には走っていなかった、というのは、後で思えば本書の一番のトリックなのではないかと思うのですが、あっさり明かされていますね。これは鉄道ミステリの新たな機軸になり得るか…、無理だろうな。特殊なケースですね。
 連続殺人に至った吹雪の中の事件は、意外な真相へと読者を導いてくれます。この展開は全く想像出来なかった。キャラクターの濃い鉄道オタク(通称『テツ』)の面々が容疑者になることによって、素人捜査の進展があやふやになったり、死んでいた日置の行動が重要視されなくなっている。妙な意味ですが、素晴らしいミスリーディングが機能していると言えるでしょう。空海が「私が殺したんです」と口にした瞬間は、月刊誌で読んでいた人は度肝を抜かれたのではないだろうか。

 また後で書きましょう。

月館の殺人 下
佐々木 倫子漫画 / 綾辻 行人原作
小学館 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2006年07月30日 21:43

 食欲がなかったので御飯をお茶漬けにしたら、お湯を吸って多くなった。

「となりのトトロ」鑑賞。(☆☆☆☆☆)

2006年07月28日 21:43

 国民的アニメとか変なことを言われるのが常套句なのだけれど…、これはまあ、あれだ。仕方ないな。超牧歌。チョーボッカ。一見平和過ぎて欠伸が出る人たちが多いのだろうな、と思うけれども…、まあ、仕方ないな。開幕早々、古臭い絵ばかりが終劇まで続くのだけれど、それを見て「古臭いなあ」としか思えない人は、トトロを見る資格はありません。何も分かっちゃいません。しかし、この作品は現代における自然環境の淘汰に対する警告なのだ、とか堅苦しいことは言いたくありません。そんな余計なことを考える時間があったら、「トトロおもしれー」と言っていればそれで良い。
 もう子供の頃から20回くらいは見てると思う。今回、4年ぶりくらいの久しぶりに見て思った、正直トトロ出なくても面白い。あの昭和30年とか40年とかを想定していると思われる田舎の暮らしをずーっと描いてくれていても面白い。サツキやメイの言動を見ているだけでも面白い。そこにもう殆どオバケにしか見えない森の妖精(みたいなものだったかな)が出てくるものだから、本当はとんでもないファンタジーなのに視聴者の疑問が挟まれる余地のない、この不思議。
 自然愛とか家族愛とか、確かに陳腐な面はあるのだけれど、子供よりも大人が見るべきだな、とも思うアニメだな。小さな頃には「トトロおもしれー」としか思わなかった(思ってたのか?)映画が、年を取ってから見ると別の側面がはっきりと見えてくる。そういう、ちょっと穿った意味での面白さも確かに持っている。

今日の一言

2006年07月25日 20:54

 ミニトマトが30個採れた。

「フラッタ・リンツ・ライフ」森博嗣、読了。(☆☆★)

2006年07月23日 09:52

 なにも欲しくない。誰のためでもない。誰も褒めてはくれない。ただ、飛びつづけたい…。戦闘機乗りのクリタは、上司クサナギが永遠の命を持つキルドレではないと知らされる。戦いを生きる子どもたちを描くシリーズ。

 「スカイ・クロラ」シリーズ、第4弾。シリーズの主人公とも言える、パイロットであり指揮官である草薙水素の部下、クリタの視点で物語は進む。シリーズとしての大きな「物語」が進むに連れて、読者の思索も深いところに及んでいく。

 森博嗣氏の小説の中でも最も、彼の「文法」の特徴が現れていると思われる、詩的な文体に重点が置かれたこの小説は、その着地点が読者にはなかなか窺い知れないアンバランスさを備えているようです。戦闘機と飛行士の物語であるゆえ、その死生観は明らかに地上でしか生きたことのない、地上でしか生きられない常人とは一線を介したところにある。他の多くの飛行気乗りがそうであるように、クリタも紛れもない「飛行気乗り(パイロット)」である…、それは、誰もが空で生き、空で戦い、空で死ぬことすら願っている。しかし自分の意思だけでは「自由」を手に入れられないもどかしさ(戦闘を終えて地上に戻ると、彼は「楽しく飛べた」と満足して眠りに就くのです)を常に胸の内に抱えていることでも窺い知れる。空への純粋な思いを抱き続けたまま、戦い続けるために、永遠の命を与えられている、キルドレと呼ばれる子供たち。彼もまさに、そんな一人です。
 キルドレ。この言葉の真意を解説された場面はなかったように記憶しているのですが、語感から察するに「kill children」の略称なのでしょうか。老いることを知らないということが、即ち成長しない、という意味にはなり得ないように、「子供の部分を切り離す(殺す)」ことで生き続ける者たち。決して人間らしくないわけではなく、笑いもすれば、怒り、涙を流す。そして…、彼らは一様に、子供っぽさを表に感じさせない成熟さを併せ持っている。これは即ち、彼らは単純な意味での「子供」ではないのだ、ということが読み取れるでしょう。「仕事」として敵の戦闘機を落とす割り切り方は、それが人を殺すことであると重々知っていてのものであるだろうし、自分たちが何のために戦うのか、ということについても、彼らは把握しているはず。そこに「大人」たちの何らかの政治的策略があるのは間違いないでしょうけれど、それを知ろうと知るまいと、彼らは飛べれば満足を得られる。「キルドレ」という俗称を用いるから特別な作りをしているように思えるのであって、もしやすると戦闘機乗りの思惑を純粋に抽出すると、実質的にはそんなものかもしれません。彼らはだから、空で戦うことを「踊る」と称する。

 洒落のようで申し訳ないのですが、本書を読んでいるときに強く感じたイメージが「浮いた話はないが飛ぶ話はある、みたいな」だったのです。しかし、これは思い返してみると実に不自然な感想。本書の主人公であるクリタは、幾つかのエピソードにおいて、数人の異性を相手に幾度も浮ついた感情を持て余している。そこには瑞々しい言葉の遣り取りはなく、そこにあるのは事実だけである、という現実を半ば諦観したようなものの見方が随所に見られるのです。ところがその裏側では、クリタが自分の抱いている好感が一体、誰に向けてのものであるか、悩み、戸惑い、諦めつつも納得している。ロジカルな感情とメンタルな感情が同居することによって混乱を禁じ得ない、まるで本当に彼が少年であるかのような葛藤がそこには描かれているようにも読み取れる。無機質なイメージが前面にあるこのシリーズにおいて、同時にそこにはその性質とは正反対の人間の恋愛模様が描かれている事実を、「そこにあるのは事実だけである」と言い切ることが出来る当事者が果たして存在するのか。この感情は、草薙水素と黒猫の戦闘機乗り…、ティーチャと呼ばれる男との間にも存在するのは間違いなく、飛行機に乗っている限りはその実態を確かめることも、自分だけで消化し、または打ち壊すことは出来ない思いの行方をどのように描くかが、本書の行き場のひとつなのかもしれないと思うのです。

フラッタ・リンツ・ライフ
森 博嗣著
中央公論新社 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。

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今日の一言

2006年07月22日 00:43

「ペンキ塗りたて」のベンチを見たことがない。
(勿論、座った経験があるわけない)

「ハウルの動く城」鑑賞。(☆☆★)

2006年07月21日 23:29

 なんなんだこりゃあ?
 なにひとつはっきりしたところがないまま終わってしまった。

 とても感想が書きにくい映画です。ジャパニメーションらしいなあ、と思えるところが随所にありましたね。いわゆるキャラ萌えというものですが…、確かに主要登場人物皆がキャラが立っている。愛らしいとか毒々しいとか濃ゆいとか色々言い方はあるでしょうけれど。しかしそこでこの映画の印象は足踏みになってしまうような気がするのですが…。この映画には原作があって、確か「魔法使いハウルと炎の悪魔」でしたっけ。それを宮崎監督がアレンジしたのでしたよね(なんか「原作を3分の1くらいに端折ったんじゃないかなあ」と原作を知らない自分が思ってしまったくらいに先を急いでいたような)。それだけで分かるように、本作で一番魅力的なのは主人公のソフィーでも魔法使いのハウルでもなくて、あの炎の魔物に違いありません。本作のタイトルは「ハウルの動く城」なのです。そういうことです。
 変に印象的に「世界で無為無駄な戦争が続いている」という描写をてんこ盛りにしているために、逆にハウルの言動がぼけてしまっている。あまりに登場するたびに言動が異なるので、奴は多重人格者(複数人の魔法使いの人格が同居する魔法使い)なのかとワクワクしてしまったくらい。初声優の木村氏(変な響き…)の演技の巧さ云々に言及しませんが、何処から何処まで演技なのか分からない。あのアンニュイな感じは結構好きですが。偶然と因果がなんとも掴み切れない物語の真相らしい真相があったにはあったのですが、荒野の魔女に掛けられた呪い(を解くためにハウルに会った…、のではないのですよね、全く!)は、恋をすると解ける、という解釈でいいのでしょうか。ここ数年、そう多くない映画を見てきて、これほど「あ、もしかしてこのままエンディングなのかよ」と思ってしまってしかもそのまま終劇してしまってガックリしてしまったのは久しぶりのこと。

 相方さんがやたら神木くん神木くん騒ぐのでどうかしたのかと思ったのですが、よくよく思い返すまでもなく、やたら見る側のキャラ萌えを意識した青少年が出てくるのには失笑しました。映画を見ていて、製作者側の意図した笑いどころで素直に観客として笑うのではなくて、そういう余計なテコ入れで笑ってしまうのは、いろんな意味で情けないなあ…。

■教訓:「神木の可愛さは異常」

寂しさに負けた十戒+α

2006年07月19日 21:45

 深夜特急さんのところで面白い記事があったので、自分流に書き出してみようと思い立つ。
  ***
■トマトは哲学してはならない。
■人間以外に知恵がないと自負する人間の愚かさ。
■人間は酸素より窒素を多く吸って生きている。
■負けを恐れるな。
■勝ちを恐れるな。
■待機電力がもったいないからテレビのコンセントはまめに抜こう。
■でも隣の部屋の電気は点けたまま。
■気晴らしに用いられるものほど中毒性があると思い込みやすい。
■大抵の子供は頭が悪いか莫迦である。
■大抵の頭が悪く莫迦であるのは大人である。
■過去の事物を称して「やっぱりね」は嘘。
■積読を恐れるな。
■「皆が持っているから欲しい」と考える大人のレベルの低さ。
■香水の匂いが臭い大人。
■いつの間にか禁煙が難しくなっている自分。
■鎮痛剤の消費量がやたら激しい我が家。
■世界はテクノで出来ている。
■世界はトランスで出来ている。
■晴れ男は存在する。
■考えてから喋ろうとすると話し出すタイミングが難しい。

 まとまりがつかない。何が書きたかったのか。
 ちなみに…。
[寂しさに負けた十戒+α]の続きを読む

今日のフォト:「歯車」

2006年07月19日 21:12

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仕事が出来る人と出来ない人の区別。
これが出来るようになってしまうと、
上からの指示に従うだけの従業員ではなくなる。
良し悪し織り交ぜて如何に巧く遣るか、
人事の捌きが求められることになる。
当然、自分の仕事は十分に出来なければならない。
下手を打つと身内からもカスタマーからも苦情が来る。
板挟みを知らないのは幸せなことだ。
僕は決して偉くなんてない。
一人だけでは出来ないことだから、助けを借りることになる。
助けがなければ出来ないことをしようとしているのだ。
だから、協力がなければ何も出来ない。
仕事が出来る人、だから出来ることがある。
仕事が出来ない人、でもやらなければならない仕事がある。
それを自覚せずにスタートラインでまごつくものが多過ぎる。
仕事とはそういうものかもしれないが。
歯車が一つ欠けても、大きな機構は動かない。
どんな小さな歯車でも、決して疎かになど出来ないのだ。
カスタマーは、歯車になど興味はない。
機構が為す仕事が出来るか否か、それで僕らの価値は決定する。
仕事が出来るか出来ないか、というのは、最終的にはそういうことだ。
如何に機構を組み立てるか、組み上げるか。
歯車の一つである僕自身が、それをしなければならないときに、
僕は少しばかりの息苦しさを覚える。
誰かがやってくれると安心出来たなら、これほど楽なことはない。

「陽気なギャングの日常と襲撃」伊坂幸太郎、読了。(☆☆☆)

2006年07月19日 18:21

 人間嘘発見器・成瀬、演説の達人・響野、天才スリ・久遠、正確無比な体内時計の持ち主・雪子。史上最強の天才強盗4人組が巻き込まれたバラバラな事件。しかし…。「陽気なギャングが地球を回す」に続く第2弾。

 伊坂氏の小説では初の「続編」ですね。「地球~」の1年後に起きた数々の出来事…、否、事件、が描かれていて、ある意味では正当な続編。本作のみでも十分に伊坂ワールドを堪能出来るのですが、やはり前作を併せて読んでおきたい。物理的に物語が独立していても、何処かでこっそりとリンクしているのを見つける楽しみがあるのです。
 本書は大まかに2部構成となっています。第1章では4人のギャングたち、それぞれの日常に舞い込んだ事件。そして第2章以降では銀行襲撃の裏に突如浮上した誘拐事件が、彼らの命運を少しだけ左右する。前作のような、基本的には物語は一本道、目的に向かって悪党が駆ける、というイメージの失踪感を今回、同じように期待すると、物足りなさが残るのが正直なところ。まあ「日常」と「襲撃」ですから、この何処か見た目は普通に見えるのに破天荒さを併せ持った4人が巻き込まれる「日常系ミステリ」が不似合いに映るのは仕方ないのかも。けれどもその「日常」がミステリ的に中途半端に思えた人ほど、読み進めるに連れて高揚感が高まらずにはいられないはず。元々は短編集として書き始められたものを組み直した、という本書、複数のエピソードが絡み合い集束していくモザイクミステリの手法は、伊坂幸太郎の真骨頂とも言うべき構成なので、伊坂氏の著作を幾らか読んでいる人であれば、本書が最終的に冒頭の4つの短編の背景が少しずつ合わさっていく展開なのだろう、と読む前から勘付いてしまうのではないかと思われるのが欠点といえば欠点ですが、それは本書の面白さを減じるはずはなく。最後の最後に「そう来るか!」とニヤリとさせられてしまう絶妙のプロットは、前作よりもスリリング。ミステリの伏線を読者に勘付かせずに物語を語り切る旨みなのです、間違いなく。

陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂 幸太郎著
祥伝社 (2006.5)
通常2-3日以内に発送します。

今日のフォト:「どっちつかずの空」

2006年07月18日 12:03

P7143308.jpg

思い出すことも出来ない昔のこと。
その頃は、僕ら誰もが目の前のことに一生懸命だった。
恐れを知らず、後ろを振り向くことを知らず。
多分、失うものがなかったからだろう。
大人になった今では、とても同じ姿勢ではいられない。
今の自分を失うのに怯えて、後ろを気にせずにはいられない。
無邪気なままではいられない。護るべきものが存在するから。
自分勝手ではいられない。共に歩む者がいるから。
生きることに懸命なのは今も同じ。ただ、
自分ひとり、という存在が、この世界でどうあるべきものなのか、
その価値が、ほんの少し、違うだけなのだと思う。

「陽気なギャングが地球を回す」伊坂幸太郎、読了。(☆☆☆★)

2006年07月17日 21:56

 ゴキゲン4人組の正体は、百発百中で成功する銀行強盗だった。しかし、ちょっとした誤算で売上をトランクに入れたままのクルマを現金輸送車ジャックに奪われた…。不況気分をぶっ飛ばすアクション。

 再読。
 本書を一言で言うと、やはり「悪党が悪党を懲らしめる話」となるのだろうか。主人公の4人は銀行強盗である…、が、彼らがどうにも悪人には見えないのが本書の特色。彼らのしている行動一つ一つを見ていれば、それは明らかに犯罪行為なのに、出来の良い寸劇を演じているかのようにスマートな動きをしているのだ。主人公は銀行強盗団、なのにメンバーの誰を取り出してみても、後ろめたさを感じさせない。というより、何処を読んでもなんだかシリアスさに欠ける描写の連発で、敢えてメンバーのバックグラウンドを細かく描写しないことによって、洒脱なコミカルさが全編に満ちている。これから銀行強盗に向かう、という一瞬の絵を抜き出してみても、犯罪行為を行う緊迫感とは違い、ゲーム(試合)をしにでも行くかのごとく、颯爽と駆け出す様子があっさりと脳裏に浮かぶのは、ある意味では不思議だ。スマートに犯罪をこなして無事に逃走するためには、無論、行動から無駄を排して犯罪行為を行うことが必須条件であり、実際、彼らは綿密な計画の下、そのように動いている。どうせやるなら完全試合を目指せ、と言わんばかりに。
 銀行強盗が強盗に襲われる、という突飛なプロットが印象的で、それ以外のところが殆ど記憶にないのだけれど、大雑把なところでミステリ的な真相は覚えていたつもりだった。しかし、この一連の騒動の収め方というか、決着のつけ方に関しては、本当、読み手の裏を書く伏線の張り方が、実にさりげなくて巧いと思う。盤上の先の先が読めているように動く成瀬は、他人の嘘を見破る天才。世が世なら探偵役を張ることが出来る人格の持ち主なのに、クライムノベルのリーダー格として場を支配しているのは、ある意味では皮肉的かもしれない。天才スリの久遠、演説の達人、響野、精確な体内時計をもつ雪子。どうして彼らは銀行強盗なんて続けるのか、という当然の疑問は、劇中、さらりと語られる。そんなことで、と思ってしまうのだが、そう、そんなものなのかもしれない。実際、彼らは、とても巧くやっている。巧くやる、何事においても、それは滅法、難しいのだ。

陽気なギャングが地球を回す
伊坂 幸太郎著
祥伝社 (2003.2)
通常24時間以内に発送します。

さんくす・あ・ろっと

2006年07月16日 01:13

 20000アクセス、大感謝です。
 当の20000HITは自分でした。
 嬉し恥ずかし悔し。

「ハチミツとクローバー・9」羽海野チカ、読了。(☆☆☆☆☆)

2006年07月15日 21:35

 人を好きになるのは簡単であり、人を嫌いになるのもまた同様である…、そう言う人がいる。しかし、僕は思う…、人が人を好きになるのは簡単だけれど、人が人を嫌いになるのは難しいのではないだろうか、と。人が何かを好きになるためには、その対象が自分の好きなものでありさえすればいい。後々、嫌いになることがあるかもしれないけれど、まず好きだと思うための理由は、それだけでいい。けれども、人が何かを嫌いになるためには、その対象が自分にとって好きなものか、それとも嫌いなものかを判断しなければならない…、つまり、相手を知らなければならない。だから、恋愛物語が描かれるときに一番難しいのが、「人が人を好きになるという感情を消す方法」なのだと思う。普通、こんなものは描かれない、必要のないものであるからだ。けれども、それを無視することの出来ない物語が、ここにはある。
 本作、「ハチミツとクローバー」の一番の特色は、登場人物の殆どが皆、誰かを好いている。しかし、それはいわゆる片思いなのだ、ということ。皆が皆、易々とは叶わない恋の病に侵されているのだ。自分の好きな人に思いが届けば、それで相手も応えてくれるわけじゃない。その人にも、大事にしたいと思う誰かがいて、その誰かのために頑張っているのかもしれない。それを知ったときに、一体、自分は好きな人のために何をすることが出来るのだろう…。好きな人に好きだと伝えることがとても難しいことは、恋愛が優しさだけでは完成しないことと等しく皆知っている。それを両立させることは、とてもとても難しいことだ、となんとなく分かってしまう切ない感情だ。けれども、好きな人の幸いを一番に願う者たちが、己の手で、少しでもその幸いを叶えるために手を差し伸べようとする「強さ」を模索することは幾らでも出来る。そしてその強さが、本当に大切な人の持つ強さへと享受させられることが出来たなら…。

 なんとなく穏やかな雰囲気で、物語の結末へと進んでいくのかな、と思っていた矢先の、急転直下の展開に途惑っています。物語が終着点へ向かおうとしている、というよりも、「物語の終わり」という避けることの出来ない集束点に一身に進んでいるかのようで、落ち着かない気分にさせられる。青年の葛藤や最早少女ではない女性の強さと弱さの共存する小さな姿を目にして、危うく感涙するところでした。そのとき、読者である僕はようやく悟るのです。「終わり」はもう、始まっているのだと。
 「読者」の出る幕など到底ない、「彼ら」の物語の終わりを見届けるためだけにある、他に換えようのない観客が、世界に散らばっていることを確信し、本を閉じ、細々とした息遣いの聞こえる世界が最後に向かって続くのを、また、息を潜めて待つのです。

ハチミツとクローバー 9
羽海野 チカ著
集英社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

「こどものじかん・2」私屋カヲル、読了。(☆☆☆★)

2006年07月14日 21:27

 1巻を読んだときは、エロ漫画に紙一重なんじゃないかと自分がふと思ったことを漏らしていたのですが、本作の方向性としては、その印象すら考え直さなければならないような気がしてきたので書いておこう。これはそういうエロスではなくて、読者がある描写を目にして、自分の頭の中で絵を再構築しないとエロにはならない、そういう「子供が大人をからかうためにそういう言動をしてみせている」がゆえの間接的なエロスがあるように思います。見せたり見られたり、触らせたり触れたり(握ったり!)と遣りたい放題のガキどもなのですが、それを大人が見ると、どうしてそんな子供に似合わないことをするのだ、やたらマセた子供が大人ぶってそんなことをしやがって、という反応を返してしまう。そこに、ある違和感が感じられます。それはつまり、その「マセた子供」はどうしてそんな大人の気を引くようなことをするのだろうか…、ということ。意味のないことを本当に意味もなくするのは、大人ぶった子供のすることではないのです。表面的には莫迦らしいことでも、本質的なところで見落とすべきでない、空白の本心の在り処を並行的に探っていくのが、本作の目指すところなのではないかな、と今回思ったのでした。
 いや、しかし、まあ…、アイスのアレは思い切り笑ったな。

 ある人物の過去の話が回想されます。それは本作を語ろうとすれば決して無視し続けることが出来ない類のもので、そして私屋氏は意外にあっさりとそれを描いてみせている。しかしそれを読者が読んで「ああ、そういうことなんだな」で終わらせてしまってはいけないのが、そのエピソードがあくまで「回想」に過ぎないのだということ。本作の主人公である青木先生は、九重りんの過去を全く知らない。「読者」の前に披露されただけのエピソードで終わるようでは、この重要な物語は物語としての役目を果たさない、ただの「設定」に成り下がってしまう。今後、物語をどう動かすか、それとも定められた結末に収束させるのかは私屋氏にしか出来ないことなのですが、どうかこのひとつの「小さな物語」を無駄にせぬよう願いたいところです。

こどものじかん 2
私屋 カヲル
双葉社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

今日のフォト:「夏空」

2006年07月14日 21:11

 如何にもこれって空。
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 コントラストがなんだか好きだ。
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 そう思っていると変わりやすい夏の天気。
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しんぶんし

2006年07月12日 19:14

「新聞紙をさかさまに読むとどうなる?」
「新聞紙? 逆さに読んでも『しんぶんし』だろ」
「何言ってるの。逆さにすると読みづらくなる、だろ」
 えー。(゚Д゚)
  ***
「新聞紙をさかさまに読むとどうなる?」
「さかさまに? そりゃあ、読みづらい」
「何言ってるの。新聞紙は、さかさまに読んでも『しんぶんし』」
 えー。(゚Д゚)

「アメリ」鑑賞。(☆☆☆★+★?)

2006年07月10日 22:21

 やあ、これは面白い。一風変わったロマンス映画なのだけれど、これが本当に変わっている。何処を見ても変わっている。物語の見せ方が完全に独特のもので、好き嫌いは割りとはっきり分かれそう。けれども全編に遊び心が満ちていて、それが何処となく妄想じみているのが、ある意味ではとても「らしい」と思えるのです。例えば登場する多くの人物の、大部分には性格付けがなされているのですが(当然!)、その性格付けがまた独特で面白い。「エアシートを潰すのが趣味」だとか、「猫のミルク皿を床に置く音が好き」だとか…、映画を見る、物語を見る者には殆どどうでもいい「人物紹介」がされるために、はっきり言ってそこからくる笑いは脱力感にも似ているのです。しかしそれが逆にリアリズムをもって想像力を支える「設定」となって生きているのです。どんな作品であっても「設定倒れ」は一番世界観を貶める類のものなのですが、本作に関しては全く逆の発想が最初にある。「ああ、あるある」とつい頷いてしまう人がいるかもしれない、というギリギリのラインを常に保っているのが末恐ろしい。主人公のアメリだとて、幼少からの両親の教育により妄想癖があるというカッ飛んだヒロインなのですが、東奔西走する彼女はずっと一途で子供心、というのとは異なる純粋さを持っている。
 話そのものは、実はそれほど驚くべきものでもないのです。しかし、ちょっとした仕掛けがしてあって、ほんの数十時間後のアメリの命運を知った瞬間、どうしようもない吐息をついてしまったのは確かなのです。

「名探偵コナン・51・52・53・54」青山剛昌、読了。(☆☆☆★)

2006年07月10日 17:40

 発刊ペースが結構早い「コナン」。ついつい積読にしてしまっていたので、一気読み。前々から言っている通り、黒の組織との対決がない限りはパズラーとしてのミステリでしかない本作です。トリック・ミステリ。如何せん少年漫画誌の連載であるミステリなので、本格ミステリ的ではあっても、どうにもドラマ的な部分が薄っぺらい。青山氏が色々な形で「対決」を描くのを楽しんでいるのは明らかなので(対服部、対キッド、といったように形を変えて)、ロジカルなアクション(変な言い方ですが)もいいのですけれど、個人的にはやはり江戸川コナン…、工藤新一の物語そのものを進めて欲しい。随所に伏線を張って回収を始めているのも伺えるのですが…、さて。

名探偵コナン Volume54
青山 剛昌著
小学館 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

「きょうの猫村さん・2」ほしよしこ、読了。(☆☆)

2006年07月10日 17:38

 読んだのは結構前なんですが、書くのを忘れてた。
 相方さんは大絶賛なのだけれど(確か1巻を読んだときに、「今年のベストが確定したかも」と言っていたはず)、僕はあまり楽しめていない。家政婦を勤める猫が主人公で、人間の生活を猫の視点から見ているところがなんとも倒錯的であります。しかし話自体は普通過ぎるほど普通。昼ドラを薄めて薄めて、ある意味ではちょっぴり古臭いステレオタイプなエピソードの積み重ねなのだけれど…、猫なんです。猫村さんが猫だから、面白みが発生している…、はずなんだけれど、やはり僕はいまいち楽しめていない。
 スローライフを楽しみたい方にはお勧め出来るかも。

きょうの猫村さん 2
ほし よりこ著
マガジンハウス (2006.6)
通常24時間以内に発送します。

今日のフォト:「折れ曲がる」

2006年07月09日 00:24

P7043263.jpg

今日の一言

2006年07月06日 22:57

 「ネタバレ」って、ある意味、専門用語ですよね。

「D.Gray-man・8」星野桂、読了。(☆☆☆☆)

2006年07月06日 19:06

 この物語と直接の関係がない話もあって恐縮なのですが、一席。
 少年漫画で腐るほど溢れているのが、いわゆるバトル系漫画における主人公たちの回復力の高さ。これはもう人間の治癒能力の常識の範囲内を超えるのが殆ど…、というか当たり前で、時たま、その違和感を半減させるために「治癒能力を持った仲間」が登場したりします。しかしバトル漫画の宿命として、傷つかずにいられる者はいない。当たり前の話なのですが、当たり前のまま済ませられないジレンマティックな要素でありまして…、「必殺技」がゴロゴロ登場するのに、負う怪我といったらせいぜいが「痛そうだ」くらいのイメージでしか残らないものが殆どなのです。
 前置きが長くなりましたが、本作での登場人物の傷つきようといったら、ちょっと他とは一線を画しているようなイメージがあるのです。無論、常人よりも誰もが傷の治りが早い「違和感のない不自然さ」は健在であるし、なんだか如何にもトンデモな怪しい術具を使った手術により傷を治療したりもしているのですが、今巻を見る限りでは、その「負傷」のジレンマに真っ向から勝負を掛ける漫画描きの姿を垣間見たような気がします。
 特に本書における海上の死闘、リナリーの死闘には目を見張るものがあります。あの決着のつけ方には無論賛否両論あるのでしょうが、「読者の賛否」に媚びない星野氏の姿勢がそこには頑としてある。本巻のラストシーンを見ればそれは瞭然としていて、どんな苦境の地に立たされようとも、エクソシストは戦い続けなければならない、という「傷つき続ける者たちの戦い」(僕はこれがこの物語の一番のテーマだと思ってやまないのです)の一幕がはっきりと描かれているのです。

D.Gray‐man 8
星野 桂著
集英社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

「DEATHNOTE・12」大場つぐみ・小畑健、読了。(☆☆☆☆☆)

2006年07月06日 19:05

 ひとつの革命が終わり、新たな世界が幕を開けた。
 読了後、いつもなら何か書くのだけれど、今回ばかりは言葉が出てこない。何を言っても蛇足でしか有り得なくなってしまうような。あらゆる意味で波乱を呼ぶ、「デスノート」最終巻。
 いやはや。震えました。最後の最後の最後まで目が離せなかった。
 本書を言い表そうとすると、ほんの一言でネタバレになってしまうのが怖いのだけれど(←この一言が既にネタバレを孕んでいるな)、ブログを流し読みする人は気を付けなきゃだわね。このオチは酷いだとかこんな決着有り得ないとか。侃々諤々とはこのことか。しかし週刊ジャンプ連載という宿命により第2部が開いてしまった以上、第1部のような快哉を叫ばずにはいられないラストを求めるのは酷だったのではないかとも思います。きっと大場氏はライトはリューク(のデスノート)によって殺されることを大前提にプロットをまとめていったのだろうと思われますし、ライトがニアに勝ったときには、「デスノート」自体がまた終わらないだろう、という版元の都合上のジレンマが発生しないとも限らない
 とにかく、序盤から物語の結末に向けての加速度は物凄いです。中盤の「なんだこれは。なんなんだこれは」という、まるでロジックにより何もかものトリックを明かされているのに、同時に何か、騙されているかのような封じ込められた阿鼻叫喚の真横にいるみたいな困惑すら感じる怒涛の展開。二転三転じゃ済みません。漫画なのか小説なのか読んでいる自分がわけが分からなくなりそうなネームの洪水(これは笑いどころか)。
 あのラストシーンは、例えるのはお門違いかもしれませんが、キリスト教におけるイエスの復活を願う信者のごとく、キラの復活を願われている…、というシーンなのでしょうね。ニアとの決着によりライトが死んだことにより(それによって正体が一人の人間であることが判明して)、実像としての「神」は存在し得るのだ、として彼が崇められるようになった、と…。強烈な皮肉じゃありませんか

Death note 12
大場 つぐみ原作 / 小畑 健漫画
集英社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

今日のフォト「非常口(二者択一)」

2006年07月04日 19:39

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「きまぐれロボット」星新一、読了。(☆☆☆★)

2006年07月04日 19:24

 星氏は、ショートショートのスペシャリストとして有名なのですが、以前から知っていたくせに氏の本を買ったのはこれが初めて。ショートショートの見本市のような良作の数々が読むことが出来て嬉しい。なにぶん、当然ながら、そのどれもが短いので、さくさく読めてしまう。それでいてどの話にも読者の想像の斜め上を行く「そう来るか!」というオチが付けられているために、あまり沢山読み過ぎると、お腹が一杯になってしまうのが弱点といったら弱点か(それもまた嬉しいですが)。本書のようなショートショート集は、一日にひとつ、何日も掛けてじっくり読破するのが一番賢い読み方なのかもしれません。
 さて、タイトルに「きまぐれロボット」とあるように、多くの星新一ショートから厳選されたかのごとく、本書にはロボットや新発明の薬、道具、宇宙人の来訪、などといった未知の科学の要素が多く含まれているようです。そんなわけで本書は現代ファンタジーとしても読めるのだけれど、やはり一番しっくり来るのはサイエンス・フィクション…、SF、でしょう。ショートショートといえば、ほんの数ページの中に織り込まれた「オチ」を楽しむ掌編、というイメージがありますが、それはある長編の究極のダイジェスト版…、ぎゅっと濃縮された「物語」であると読み取ることも出来るように思うのです。実際、ある作家は、完成度の高いショートショートを書こうとしたら、そこには長編が一本書けるくらいのアイディアを詰め込むくらいの気持ちで取り掛からないと納得のいくものは出来ないだろう、と言っているくらいです。なんということもない小さな話が、最後の数行で思いもよらぬ真実の姿を読者に見せ付けることもあり、そんな様はある種、上等のミステリを読んでいるような気分にもなるのが正直な話。
 本書の一編「おみやげ」が確か、小学生の教科書に載っていたことを思い出しました。音読して読んだ話は意外に読んだことを覚えているものです。15年来に読んでみれば、子供心には気がつかなかったアイロニィが、本書には多数収められていることに気づけます。例えばこの「おもやげ」の結末を読んで「勿体無いなあ」と素直に笑えるか、苦笑いをするか、で、その読者が子供か大人かが分かる。強烈な皮肉がオチに用いられていると、大人はどうしたって唸ってしまう。しかし嫌らしい皮肉ではなく、「そんなもんだよ」と微笑ましくも諦観した大人の視線を投げ掛けている。そこがなんとも言えない味わいですね。

きまぐれロボット
星 新一〔著〕
角川書店 (2006.1)
通常2-3日以内に発送します。

今日の一言

2006年07月03日 22:30

 さっきから検索ツールバーに、
「胃下垂 治し方」
 って書いておいたままなんですが。

R-(アール・マイナス)

2006年07月02日 14:56

 短編「R-(アール・マイナス)」を執筆。6200文字。
 なんとなく書き始めたのだけれど、許容範囲内の結末。
 何も考えずに書くのはやっぱり楽しいなあ。
 描写はないのにエロ、は好きだと思う。
 「続きを読む」からドウゾ。

 或いは、コチラの方が読みやすいかもしれません。



[R-(アール・マイナス)]の続きを読む

今日のフォト:「イン&ヤン」

2006年07月01日 19:45

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