ウヅマキ商会を営む橘河にタマシイを拾われた岬。「きみが生きているのは、おれがタマシイを掴まえているから。しばらくおれのところで働いてもらう」しかし、仕事の背後に怪しい気配が…。極上の和風幻想譚。

 何でも屋の主、橘河、その番頭であり、橘川に全てを拾われた経緯を持つ男、仲村。そしてまた、橘河に魂を拾われて従属の日々を送ることになる青年、市村…。ウズマキ商会に持ち込まれる、不可思議、不審、不穏な頼み事、運命に巻き込まれ、翻弄される男たち。
 そこかしこに香る、男の匂いと女の匂い。男性と女性、或いは雄と雌の香り。長野まゆみ小説の真骨頂、四季折々の語感が漂う文章のスタイルの中に、ひたすらに言葉の綾を含み、ひたすらに感情の猛りを匂わせる会話が織り込まれています。この「含み」が、長野小説の特徴である衆道(ゲイのことですね)がまず一番に人物描写を支えていることを裏付けていて、しかしこれが…、長野氏の確信犯であるのかどうか、やたら隠語(淫語!)だらけで逆に嫌らしさを増幅させているのがもどかしかったり、含み笑いを禁じ得なかったり(一応、褒めています)。本書の場合、色々となぞらえられているモチーフはあるのですが、女性の影が多少濃いようにも思い、これまでの長野小説とはまた少し違った印象を抱きました。
 数年前からでしょうか、氏自身が模索していると公言していた文体が、本書にも十全に現れています。地の文の中に完全に会話分が同調していて、そういうものだと知らない人はまず、その読みにくさにとっつきにくさを感じることだろうと思うのですが、これが不思議と慣れなのか、いつの間にかするすると読めてしまう。元々、誰にでも読みやすい、と言えるような言葉遣いをしない作者であり、日本語特有の響きや漢字本来の意味を重視する作風から、その物語は物語そのものの意味を読み解くというよりも、その雰囲気こそを物語の価値として高めようとする意図があるように感じられるのです。不可思議な物語が一つあって、長野氏はその物語の中で派生した謎を、ある程度まで解いておいて、或いは、作中のある人物は真実を掴んでいるのに、読者の目にははっきりとした真実の形で解説しない。そういう「狡さ」が本書にも満ちているように思われます。長野氏の小説を読んでいて感じる「もどかしさ」は、そういう、場合によっては幾多にも読み取れる「物語の行方」の中の、少なくとも作者である長野氏にとっては絶対的な真実である完成された「物語」を読者に易々と提示してはくれない狡さなのだと、本書を読み終えて再認識しました。これは本書を形作る上での瑕疵とは言えないかもしれませんが…、でも、冒頭から結末までひたすら言葉を含み続ける姿勢には「僕は焦らされているな」と妙な意識をしてしまい、それもまた、確信犯的な作為が働いているのだな、と思ったのです。
 純粋に文学として読むには、色々な意味で難しいと思われるのですが、しかしかつての、ひたすらに「少年」という記号を描き続けた長野氏の姿勢とは全く違う、独特の「長野まゆみ」がここにあります。

あめふらし
あめふらし
posted with 簡単リンクくん at 2006. 8. 1
長野 まゆみ著
文芸春秋 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学


 「管理者バトン」を芹花ユマさんから頂きました。答えましょう。

■貴方のHNを教えてください。
→祐樹一依。(ユウキ・カズイ)。

■貴方のサイト名を教えてください。
→CANARY CAGE。(カナリィ・ケージ)
 「カナリー」ではなくて「カナリィ」。
 「CANARY」と「CAGE」の間に半角スペースを入れるのが仕様。

■いつからサイトを運営し始めましたか?
→2002年10月5日。ケータイ用サイトでした。
 現在のサイトは2003年2月24日より引き継いだもの。

■管理人歴はどれくらいですか?
→2006年現在、4年弱。

■サイトのジャンルや属性について割と詳しく説明してください。
→オリジナル小説、詩、写真、書評。…割と、浅く広いですね。
 属性は…、少年、猫、ミステリ。やはりこれに尽きる。

■サイト訪問者様に「是非行くべきだ!!」と
 貴方がオススメ出来るサイト様を5つ書いて下さい。
→○僕の見た秩序。:超有名、ネタサイト写真素材サイト。
 ○pya!ネタサイト千差万別、投稿画像サイト。
 ○BLACK ANGEL:同人音楽のサイト。ネットラジオで24時間OA。
 取り合えず3つほど挙げてみた。

■貴方のお知り合いの管理人様に繋げるだけ繋いでください。
 ジャンルは問いません。
→スミマセン、アンカーで。

テーマ:バトン - ジャンル:日記


 寸感。

 最初から、「幻夜」はその場に留まっているだけで、厳密には走っていなかった、というのは、後で思えば本書の一番のトリックなのではないかと思うのですが、あっさり明かされていますね。これは鉄道ミステリの新たな機軸になり得るか…、無理だろうな。特殊なケースですね。
 連続殺人に至った吹雪の中の事件は、意外な真相へと読者を導いてくれます。この展開は全く想像出来なかった。キャラクターの濃い鉄道オタク(通称『テツ』)の面々が容疑者になることによって、素人捜査の進展があやふやになったり、死んでいた日置の行動が重要視されなくなっている。妙な意味ですが、素晴らしいミスリーディングが機能していると言えるでしょう。空海が「私が殺したんです」と口にした瞬間は、月刊誌で読んでいた人は度肝を抜かれたのではないだろうか。

 また後で書きましょう。

月館の殺人 下
佐々木 倫子漫画 / 綾辻 行人原作
小学館 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

テーマ:感想 - ジャンル:アニメ・コミック


 食欲がなかったので御飯をお茶漬けにしたら、お湯を吸って多くなった。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記


 ミキサーを買いました。ジューサーとも言う。これがあったら色々作れるなあ、と相方さんが言うので、今日辺り、なんだか気が向いて買いました(笑)。折り良く家電屋さんのセール対象品で手頃な価格のものがあったので、即購入。家に帰って、早速、もらい物の桃(そう、またもらってきたんです)を3個、皮を剥いて、豆乳と一緒にミキシング。フレッシュジュースが2秒で出来ました。僕はミキサーってここ15年くらいは触ってないと思うのですが(笑)、今のミキサーって凄いですねー。舌触りがあまり良くないのも、味がなんとなく中途半端なのも、こういった手作り飲み物のお決まり事で、流石に市販の野菜ジュースみたいにするする飲めるものを作るのは難しそう。でも例えばバナナ+豆乳、なんてのはお腹が空いたときに作ったらちょっとした量を食べた気分になるし、消化にも良さそう。こういう季節だし…。
 かき氷も作れる仕様のもののようなので、フラッペみたいなものも作ろうと思います。また桃をもらったら、凍らせてシャーベットを作ろう。冬になって実家から箱一杯のリンゴが送られてきても、今年は駄目にすることなく食べ切ることが出来るのではと密かに楽しみにしています。
  ***
 今日の購入本。
「月館の殺人・下」綾辻行人・佐々木倫子(小学館)

 夜中です。
 今週は日曜日からまるまる1週間、詰まらないことで叱咤されてその大部分が自分が直接に原因を有しているのではなくて周囲の同僚のとばっちりを受けたみたいな遣り切れなさがあって、そのせいでなんだか少しだけ疑心暗鬼が生じてしかも気持ちが乱暴になっている危険な状態になっています。この期間に本人が気づかずに不躾な言動をし、他人を傷つけていたのだとしたら無防備に謝罪致します。ここ数日、碌に食欲が湧かなくてしっかり御飯を食べていないな…、相方さんも夏バテが始まっている様子。病は気から、の逆も当然あるので気をつけなければ。
 土曜日休みだから気分をリセットしたい。
 寝ます。

 国民的アニメとか変なことを言われるのが常套句なのだけれど…、これはまあ、あれだ。仕方ないな。超牧歌。チョーボッカ。一見平和過ぎて欠伸が出る人たちが多いのだろうな、と思うけれども…、まあ、仕方ないな。開幕早々、古臭い絵ばかりが終劇まで続くのだけれど、それを見て「古臭いなあ」としか思えない人は、トトロを見る資格はありません。何も分かっちゃいません。しかし、この作品は現代における自然環境の淘汰に対する警告なのだ、とか堅苦しいことは言いたくありません。そんな余計なことを考える時間があったら、「トトロおもしれー」と言っていればそれで良い。
 もう子供の頃から20回くらいは見てると思う。今回、4年ぶりくらいの久しぶりに見て思った、正直トトロ出なくても面白い。あの昭和30年とか40年とかを想定していると思われる田舎の暮らしをずーっと描いてくれていても面白い。サツキやメイの言動を見ているだけでも面白い。そこにもう殆どオバケにしか見えない森の妖精(みたいなものだったかな)が出てくるものだから、本当はとんでもないファンタジーなのに視聴者の疑問が挟まれる余地のない、この不思議。
 自然愛とか家族愛とか、確かに陳腐な面はあるのだけれど、子供よりも大人が見るべきだな、とも思うアニメだな。小さな頃には「トトロおもしれー」としか思わなかった(思ってたのか?)映画が、年を取ってから見ると別の側面がはっきりと見えてくる。そういう、ちょっと穿った意味での面白さも確かに持っている。

テーマ:ジブリ - ジャンル:映画


 Yahoo動画で「楽しいムーミン一家」を見てます。昔から何度かアニメ化されてるような気がしますが、これは最も新しいバージョン、90年のもの。
 …どれもこれも、物凄い面白いぞ。ハズレがないのが恐ろしい。
 視聴者を企業利益のための客としか見ない現代とは大違いだ。
 スナフキンに萌え萌える〜

 ミニトマトが30個採れた。

 物ッ凄く「近くで花火を見る」機会があったので、勇んでデジカメを持っていったのですが、打ち上げが始まって5枚ほど連続で撮ったらバッテリが上がってしまって、ガックリもいいところ。以後は騙し騙し取りました。メモリーカードの容量から見ればムービーが5分は撮れたのにー。準備忘れて悔しい。
「危険ですのでここから先は立ち入り禁止です」
 と警備の人が立つ直ぐ手前で見てました。つまり特等席も特等席。
P7233342.jpg

 花火が真上で上がった。光と音が同時に聞こえるくらいに近かった。眩暈がするくらい。というか花火師の人が打ち上げている様子が見えるくらい近かった。50メートルくらい。
 この季節になれば、連日、近所の河川敷で打ち上げ花火があって、僕の家からもそれが見える。もう花火なんて見飽きた、なんて大人ぶって言ってみたくなるくらいだけれど、そんなことなかった。花火がこんなに力強い、物凄い迫力のあるものとは思わなかった。
P7233344.jpg

 燃えかすが辺りにばらばらと降ってきた。わあわあ騒いだ。
P7233343.jpg

 尺玉とかホワイトスターマインとかはバッテリ切れで撮れず。
  ***
 これは花火が始まる前に、地元の消防団が残り火や飛び火で延焼しないようにと会場の周囲の建物に放水しているところ。なんだか面白い色合いになりました。
P7233330.jpg

テーマ:四季 ー夏ー - ジャンル:写真


 なにも欲しくない。誰のためでもない。誰も褒めてはくれない。ただ、飛びつづけたい…。戦闘機乗りのクリタは、上司クサナギが永遠の命を持つキルドレではないと知らされる。戦いを生きる子どもたちを描くシリーズ。

 「スカイ・クロラ」シリーズ、第4弾。シリーズの主人公とも言える、パイロットであり指揮官である草薙水素の部下、クリタの視点で物語は進む。シリーズとしての大きな「物語」が進むに連れて、読者の思索も深いところに及んでいく。

 森博嗣氏の小説の中でも最も、彼の「文法」の特徴が現れていると思われる、詩的な文体に重点が置かれたこの小説は、その着地点が読者にはなかなか窺い知れないアンバランスさを備えているようです。戦闘機と飛行士の物語であるゆえ、その死生観は明らかに地上でしか生きたことのない、地上でしか生きられない常人とは一線を介したところにある。他の多くの飛行気乗りがそうであるように、クリタも紛れもない「飛行気乗り(パイロット)」である…、それは、誰もが空で生き、空で戦い、空で死ぬことすら願っている。しかし自分の意思だけでは「自由」を手に入れられないもどかしさ(戦闘を終えて地上に戻ると、彼は「楽しく飛べた」と満足して眠りに就くのです)を常に胸の内に抱えていることでも窺い知れる。空への純粋な思いを抱き続けたまま、戦い続けるために、永遠の命を与えられている、キルドレと呼ばれる子供たち。彼もまさに、そんな一人です。
 キルドレ。この言葉の真意を解説された場面はなかったように記憶しているのですが、語感から察するに「kill children」の略称なのでしょうか。老いることを知らないということが、即ち成長しない、という意味にはなり得ないように、「子供の部分を切り離す(殺す)」ことで生き続ける者たち。決して人間らしくないわけではなく、笑いもすれば、怒り、涙を流す。そして…、彼らは一様に、子供っぽさを表に感じさせない成熟さを併せ持っている。これは即ち、彼らは単純な意味での「子供」ではないのだ、ということが読み取れるでしょう。「仕事」として敵の戦闘機を落とす割り切り方は、それが人を殺すことであると重々知っていてのものであるだろうし、自分たちが何のために戦うのか、ということについても、彼らは把握しているはず。そこに「大人」たちの何らかの政治的策略があるのは間違いないでしょうけれど、それを知ろうと知るまいと、彼らは飛べれば満足を得られる。「キルドレ」という俗称を用いるから特別な作りをしているように思えるのであって、もしやすると戦闘機乗りの思惑を純粋に抽出すると、実質的にはそんなものかもしれません。彼らはだから、空で戦うことを「踊る」と称する。

 洒落のようで申し訳ないのですが、本書を読んでいるときに強く感じたイメージが「浮いた話はないが飛ぶ話はある、みたいな」だったのです。しかし、これは思い返してみると実に不自然な感想。本書の主人公であるクリタは、幾つかのエピソードにおいて、数人の異性を相手に幾度も浮ついた感情を持て余している。そこには瑞々しい言葉の遣り取りはなく、そこにあるのは事実だけである、という現実を半ば諦観したようなものの見方が随所に見られるのです。ところがその裏側では、クリタが自分の抱いている好感が一体、誰に向けてのものであるか、悩み、戸惑い、諦めつつも納得している。ロジカルな感情とメンタルな感情が同居することによって混乱を禁じ得ない、まるで本当に彼が少年であるかのような葛藤がそこには描かれているようにも読み取れる。無機質なイメージが前面にあるこのシリーズにおいて、同時にそこにはその性質とは正反対の人間の恋愛模様が描かれている事実を、「そこにあるのは事実だけである」と言い切ることが出来る当事者が果たして存在するのか。この感情は、草薙水素と黒猫の戦闘機乗り…、ティーチャと呼ばれる男との間にも存在するのは間違いなく、飛行機に乗っている限りはその実態を確かめることも、自分だけで消化し、または打ち壊すことは出来ない思いの行方をどのように描くかが、本書の行き場のひとつなのかもしれないと思うのです。

フラッタ・リンツ・ライフ
森 博嗣著
中央公論新社 (2006.6)
通常24時間以内に発送します。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学


「ペンキ塗りたて」のベンチを見たことがない。
(勿論、座った経験があるわけない)

「ねたばれぃ! ねたばれぃ!」
 と仰々しく声を張り上げつつ進む人々。

「ネタバレ」の概念(手品のネタをばらすようなものである)を認識していない人が多い中、日常の出来事を綴ったブログが氾濫することは、小説や漫画、映画などの内容が無尽蔵に垂れ流されて紹介されてしまうので閲覧するのに繊細なる注意が必要となって困っているのである。ホント。

 しかし「ネタバレ」の範囲はどのくらいのものなのか、については個々人の裁量によるところがある場合があるので、個々人がこうしてチクチク呟いてみたとことでどうしようもないのである。先入観なく作品を楽しみたいのであれば、それに関連した記事は極力見ないように努めればいいわけで…、けれども、不意に目に飛び込んできたりしてしまうこともあるのが「日記をウェブ上にアップして公開することが出来る」と一般に認識されている(らしい)「ブログ」なのである。

 そして既に作品を自分なりに一度楽しんでいる人は、他人が「ネタバレ」している部分こそを読みたいと思うものなのだ。ここがこの作品のネタ、つまり楽しみどころなのだ、と作者が強調しているのだ、と読み解いている読後の「その作品を正しく楽しんだ者」の優越感というか、愉悦感というか、作品そのものの枠を越えた楽しみを、その部分でまた、人によって解釈の違いがあったりするので、「ネタバレ」を読むことによって再認識したいという欲求がある(ない人も、勿論いる)からだ。

 というわけで、僕は「ネタバレ」否定派ではないのです。しかし、手品の種明かしがされたときに観客から漏れる言葉は一律に「なあんだ」であるように、無遠慮な「ネタバレ」は当該作品への興味を覚めさせる方向に強く働くことが殆どであり(一般に視覚興味を募らせる「続きはどうなるんだろうというワクワク」がなくなることは確実)、その部分への配慮がされた上での「感想」や「紹介」記事が増えるようにとの願いを募らせる今日この頃。いや昔からそうなんですけど。

テーマ:どうでもいいこと。 - ジャンル:日記


 なんなんだこりゃあ?
 なにひとつはっきりしたところがないまま終わってしまった。

 とても感想が書きにくい映画です。ジャパニメーションらしいなあ、と思えるところが随所にありましたね。いわゆるキャラ萌えというものですが…、確かに主要登場人物皆がキャラが立っている。愛らしいとか毒々しいとか濃ゆいとか色々言い方はあるでしょうけれど。しかしそこでこの映画の印象は足踏みになってしまうような気がするのですが…。この映画には原作があって、確か「魔法使いハウルと炎の悪魔」でしたっけ。それを宮崎監督がアレンジしたのでしたよね(なんか「原作を3分の1くらいに端折ったんじゃないかなあ」と原作を知らない自分が思ってしまったくらいに先を急いでいたような)。それだけで分かるように、本作で一番魅力的なのは主人公のソフィーでも魔法使いのハウルでもなくて、あの炎の魔物に違いありません。本作のタイトルは「ハウルの動く城」なのです。そういうことです。
 変に印象的に「世界で無為無駄な戦争が続いている」という描写をてんこ盛りにしているために、逆にハウルの言動がぼけてしまっている。あまりに登場するたびに言動が異なるので、奴は多重人格者(複数人の魔法使いの人格が同居する魔法使い)なのかとワクワクしてしまったくらい。初声優の木村氏(変な響き…)の演技の巧さ云々に言及しませんが、何処から何処まで演技なのか分からない。あのアンニュイな感じは結構好きですが。偶然と因果がなんとも掴み切れない物語の真相らしい真相があったにはあったのですが、荒野の魔女に掛けられた呪い(を解くためにハウルに会った…、のではないのですよね、全く!)は、恋をすると解ける、という解釈でいいのでしょうか。ここ数年、そう多くない映画を見てきて、これほど「あ、もしかしてこのままエンディングなのかよ」と思ってしまってしかもそのまま終劇してしまってガックリしてしまったのは久しぶりのこと。

 相方さんがやたら神木くん神木くん騒ぐのでどうかしたのかと思ったのですが、よくよく思い返すまでもなく、やたら見る側のキャラ萌えを意識した青少年が出てくるのには失笑しました。映画を見ていて、製作者側の意図した笑いどころで素直に観客として笑うのではなくて、そういう余計なテコ入れで笑ってしまうのは、いろんな意味で情けないなあ…。

■教訓:「神木の可愛さは異常」

テーマ:ジブリ - ジャンル:映画


 深夜特急さんのところで面白い記事があったので、自分流に書き出してみようと思い立つ。
  ***
■トマトは哲学してはならない。
■人間以外に知恵がないと自負する人間の愚かさ。
■人間は酸素より窒素を多く吸って生きている。
■負けを恐れるな。
■勝ちを恐れるな。
■待機電力がもったいないからテレビのコンセントはまめに抜こう。
■でも隣の部屋の電気は点けたまま。
■気晴らしに用いられるものほど中毒性があると思い込みやすい。
■大抵の子供は頭が悪いか莫迦である。
■大抵の頭が悪く莫迦であるのは大人である。
■過去の事物を称して「やっぱりね」は嘘。
■積読を恐れるな。
■「皆が持っているから欲しい」と考える大人のレベルの低さ。
■香水の匂いが臭い大人。
■いつの間にか禁煙が難しくなっている自分。
■鎮痛剤の消費量がやたら激しい我が家。
■世界はテクノで出来ている。
■世界はトランスで出来ている。
■晴れ男は存在する。
■考えてから喋ろうとすると話し出すタイミングが難しい。

 まとまりがつかない。何が書きたかったのか。
 ちなみに…。

P7043270.jpg

仕事が出来る人と出来ない人の区別。
これが出来るようになってしまうと、
上からの指示に従うだけの従業員ではなくなる。
良し悪し織り交ぜて如何に巧く遣るか、
人事の捌きが求められることになる。
当然、自分の仕事は十分に出来なければならない。
下手を打つと身内からもカスタマーからも苦情が来る。
板挟みを知らないのは幸せなことだ。
僕は決して偉くなんてない。
一人だけでは出来ないことだから、助けを借りることになる。
助けがなければ出来ないことをしようとしているのだ。
だから、協力がなければ何も出来ない。
仕事が出来る人、だから出来ることがある。
仕事が出来ない人、でもやらなければならない仕事がある。
それを自覚せずにスタートラインでまごつくものが多過ぎる。
仕事とはそういうものかもしれないが。
歯車が一つ欠けても、大きな機構は動かない。
どんな小さな歯車でも、決して疎かになど出来ないのだ。
カスタマーは、歯車になど興味はない。
機構が為す仕事が出来るか否か、それで僕らの価値は決定する。
仕事が出来るか出来ないか、というのは、最終的にはそういうことだ。
如何に機構を組み立てるか、組み上げるか。
歯車の一つである僕自身が、それをしなければならないときに、
僕は少しばかりの息苦しさを覚える。
誰かがやってくれると安心出来たなら、これほど楽なことはない。

テーマ:写真にコトバをのせて - ジャンル:写真


 寝転がって読書してると、45分で寝てしまいます。
 食べ物の話を少々。
 家庭菜園のミニトマト…、というか、最早菜園スペースの全てをミニトマトの枝が舞い踊っている有様なのですが。ここ連日の雨でまた育ったみたい。ざっと見ただけでも50個は実が出来ているのではないだろうか…、僕、そんなに好きってわけでもないのよね、トマト。
 夕食に冷やし中華と海老餃子。冷やし中華とキムチが意外と合う。
  ***
「名古屋に登頂しに行ってくる」
 久しぶりに見掛けて検索掛けてみたらやはり度肝を抜かれる内容でお腹一杯胸焼け必至、の喫茶マウンテンに脱帽。ここのマスターは只者ではない。名古屋に知人がいるので、一度は行くように仕向けたい。既に知っていたらそれだけでその人を尊敬します、きっと。
  ***
 ファンタの大人版、と呼んでいいものか、ファンタ R18を飲む。
 期待するほどに美味しくないのは新製品の常ならむ。デカビタCとかドデカミンとかライフガードとかリアルゴールドとかオロナミンCとか…。
 炭酸ボンベは凄く好きなんだけど。
 基本的にジンジャ・エールが好きな人間です。
  ***
 今日の購入本。
「交換殺人には向かない夜」東川篤哉(カッパ・ノベルス)
「プリズム」貫井徳郎(創元推理文庫)
「うそつき」日日日(新風舎文庫)

 人間嘘発見器・成瀬、演説の達人・響野、天才スリ・久遠、正確無比な体内時計の持ち主・雪子。史上最強の天才強盗4人組が巻き込まれたバラバラな事件。しかし…。「陽気なギャングが地球を回す」に続く第2弾。

 伊坂氏の小説では初の「続編」ですね。「地球〜」の1年後に起きた数々の出来事…、否、事件、が描かれていて、ある意味では正当な続編。本作のみでも十分に伊坂ワールドを堪能出来るのですが、やはり前作を併せて読んでおきたい。物理的に物語が独立していても、何処かでこっそりとリンクしているのを見つける楽しみがあるのです。
 本書は大まかに2部構成となっています。第1章では4人のギャングたち、それぞれの日常に舞い込んだ事件。そして第2章以降では銀行襲撃の裏に突如浮上した誘拐事件が、彼らの命運を少しだけ左右する。前作のような、基本的には物語は一本道、目的に向かって悪党が駆ける、というイメージの失踪感を今回、同じように期待すると、物足りなさが残るのが正直なところ。まあ「日常」と「襲撃」ですから、この何処か見た目は普通に見えるのに破天荒さを併せ持った4人が巻き込まれる「日常系ミステリ」が不似合いに映るのは仕方ないのかも。けれどもその「日常」がミステリ的に中途半端に思えた人ほど、読み進めるに連れて高揚感が高まらずにはいられないはず。元々は短編集として書き始められたものを組み直した、という本書、複数のエピソードが絡み合い集束していくモザイクミステリの手法は、伊坂幸太郎の真骨頂とも言うべき構成なので、伊坂氏の著作を幾らか読んでいる人であれば、本書が最終的に冒頭の4つの短編の背景が少しずつ合わさっていく展開なのだろう、と読む前から勘付いてしまうのではないかと思われるのが欠点といえば欠点ですが、それは本書の面白さを減じるはずはなく。最後の最後に「そう来るか!」とニヤリとさせられてしまう絶妙のプロットは、前作よりもスリリング。ミステリの伏線を読者に勘付かせずに物語を語り切る旨みなのです、間違いなく。

陽気なギャングの日常と襲撃
伊坂 幸太郎著
祥伝社 (2006.5)
通常2-3日以内に発送します。

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学


P7143308.jpg

思い出すことも出来ない昔のこと。
その頃は、僕ら誰もが目の前のことに一生懸命だった。
恐れを知らず、後ろを振り向くことを知らず。
多分、失うものがなかったからだろう。
大人になった今では、とても同じ姿勢ではいられない。
今の自分を失うのに怯えて、後ろを気にせずにはいられない。
無邪気なままではいられない。護るべきものが存在するから。
自分勝手ではいられない。共に歩む者がいるから。
生きることに懸命なのは今も同じ。ただ、
自分ひとり、という存在が、この世界でどうあるべきものなのか、
その価値が、ほんの少し、違うだけなのだと思う。

テーマ:写真詩 - ジャンル:写真


 ゴキゲン4人組の正体は、百発百中で成功する銀行強盗だった。しかし、ちょっとした誤算で売上をトランクに入れたままのクルマを現金輸送車ジャックに奪われた…。不況気分をぶっ飛ばすアクション。

 再読。
 本書を一言で言うと、やはり「悪党が悪党を懲らしめる話」となるのだろうか。主人公の4人は銀行強盗である…、が、彼らがどうにも悪人には見えないのが本書の特色。彼らのしている行動一つ一つを見ていれば、それは明らかに犯罪行為なのに、出来の良い寸劇を演じているかのようにスマートな動きをしているのだ。主人公は銀行強盗団、なのにメンバーの誰を取り出してみても、後ろめたさを感じさせない。というより、何処を読んでもなんだかシリアスさに欠ける描写の連発で、敢えてメンバーのバックグラウンドを細かく描写しないことによって、洒脱なコミカルさが全編に満ちている。これから銀行強盗に向かう、という一瞬の絵を抜き出してみても、犯罪行為を行う緊迫感とは違い、ゲーム(試合)をしにでも行くかのごとく、颯爽と駆け出す様子があっさりと脳裏に浮かぶのは、ある意味では不思議だ。スマートに犯罪をこなして無事に逃走するためには、無論、行動から無駄を排して犯罪行為を行うことが必須条件であり、実際、彼らは綿密な計画の下、そのように動いている。どうせやるなら完全試合を目指せ、と言わんばかりに。
 銀行強盗が強盗に襲われる、という突飛なプロットが印象的で、それ以外のところが殆ど記憶にないのだけれど、大雑把なところでミステリ的な真相は覚えていたつもりだった。しかし、この一連の騒動の収め方というか、決着のつけ方に関しては、本当、読み手の裏を書く伏線の張り方が、実にさりげなくて巧いと思う。盤上の先の先が読めているように動く成瀬は、他人の嘘を見破る天才。世が世なら探偵役を張ることが出来る人格の持ち主なのに、クライムノベルのリーダー格として場を支配しているのは、ある意味では皮肉的かもしれない。天才スリの久遠、演説の達人、響野、精確な体内時計をもつ雪子。どうして彼らは銀行強盗なんて続けるのか、という当然の疑問は、劇中、さらりと語られる。そんなことで、と思ってしまうのだが、そう、そんなものなのかもしれない。実際、彼らは、とても巧くやっている。巧くやる、何事においても、それは滅法、難しいのだ。

陽気なギャングが地球を回す
伊坂 幸太郎著
祥伝社 (2003.2)
通常24時間以内に発送します。

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学


 ピザを食べた。悪い意味でコストパフォーマンスが高い。
 夜中に蓼科高原を走った。R20より諏訪方面へ、茅野市からR299、山道。所々に別荘の光があって、それが妙に怖い。どうして「山荘→殺人事件」と考えてしまうのだ、僕は。
 道幅は狭く、カーブがやたら多い。「第**号カーブ」だなんて小さなプレートがガードレールに取り付けられていて、その数が50とか60なのだ。道を進むと段々数が減っていくのだけれど、それがなかったら、無限ループを走らされている錯覚に陥っていたかもしれない。
 夜の山道は、時々変な話題を持ち出す切っ掛けになる。
「道端で手を上げてる人がいたらどうしよう」
「怖い。いたら逃げるから。もう真っ直ぐ逃げるからよろしく」
「でも走って追いかけてくるかも」
「そうしたらもう、その人は人間じゃないね」
「実は人間だったって方が怖いかも」
「それはそれで逃げるな。どっちみち逃げる」
「手を挙げるだけじゃなくて、ぴょこぴょこジャンプすればいいんだ」
「それの方が怖いって…」
 霧が出た。キツネが時々車道に出てきてびっくりした。
 バックミラーを覗くのが怖くなっている自分は小心者だと思う。
 カーブを200回くらい曲がって山をひとつ越える。小海へ出た。
 そういえば今日は海の日だった。
 土日月と休みで、上司に言われた。
「三日も休みで何をする?」
「あー…、うーん…、海でも行きますかね」
「海か…、うん、気をつけて行って来なさいな」
 なんだか申し訳なくなってきた。海は海でも小海。
 当初はR299を更に東へ向かって、秩父(R140)へ向かおうと思っていたのだけれど、どうにも夜中の山越えは精神衛生上よろしくないのがアリアリなので、素直に南へ戻る。清里の辺りで途中で面倒になって、高速道路を走って帰った。
 しかしまあ、夜のドライブはごみごみしていなくて、いい。

 20000アクセス、大感謝です。
 当の20000HITは自分でした。
 嬉し恥ずかし悔し。

 人を好きになるのは簡単であり、人を嫌いになるのもまた同様である…、そう言う人がいる。しかし、僕は思う…、人が人を好きになるのは簡単だけれど、人が人を嫌いになるのは難しいのではないだろうか、と。人が何かを好きになるためには、その対象が自分の好きなものでありさえすればいい。後々、嫌いになることがあるかもしれないけれど、まず好きだと思うための理由は、それだけでいい。けれども、人が何かを嫌いになるためには、その対象が自分にとって好きなものか、それとも嫌いなものかを判断しなければならない…、つまり、相手を知らなければならない。だから、恋愛物語が描かれるときに一番難しいのが、「人が人を好きになるという感情を消す方法」なのだと思う。普通、こんなものは描かれない、必要のないものであるからだ。けれども、それを無視することの出来ない物語が、ここにはある。
 本作、「ハチミツとクローバー」の一番の特色は、登場人物の殆どが皆、誰かを好いている。しかし、それはいわゆる片思いなのだ、ということ。皆が皆、易々とは叶わない恋の病に侵されているのだ。自分の好きな人に思いが届けば、それで相手も応えてくれるわけじゃない。その人にも、大事にしたいと思う誰かがいて、その誰かのために頑張っているのかもしれない。それを知ったときに、一体、自分は好きな人のために何をすることが出来るのだろう…。好きな人に好きだと伝えることがとても難しいことは、恋愛が優しさだけでは完成しないことと等しく皆知っている。それを両立させることは、とてもとても難しいことだ、となんとなく分かってしまう切ない感情だ。けれども、好きな人の幸いを一番に願う者たちが、己の手で、少しでもその幸いを叶えるために手を差し伸べようとする「強さ」を模索することは幾らでも出来る。そしてその強さが、本当に大切な人の持つ強さへと享受させられることが出来たなら…。

 なんとなく穏やかな雰囲気で、物語の結末へと進んでいくのかな、と思っていた矢先の、急転直下の展開に途惑っています。物語が終着点へ向かおうとしている、というよりも、「物語の終わり」という避けることの出来ない集束点に一身に進んでいるかのようで、落ち着かない気分にさせられる。青年の葛藤や最早少女ではない女性の強さと弱さの共存する小さな姿を目にして、危うく感涙するところでした。そのとき、読者である僕はようやく悟るのです。「終わり」はもう、始まっているのだと。
 「読者」の出る幕など到底ない、「彼ら」の物語の終わりを見届けるためだけにある、他に換えようのない観客が、世界に散らばっていることを確信し、本を閉じ、細々とした息遣いの聞こえる世界が最後に向かって続くのを、また、息を潜めて待つのです。

ハチミツとクローバー 9
羽海野 チカ著
集英社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

 暑いんですが…、
 暑いんですが、お昼近くまでまったり寝過ごして、外に出るのが嫌なのだけれど、折角なので布団も全部干して出掛ける。ブランチにパフェ。ロッテリアのシェーキが半額だったのを帰ってきてから思い出して夢うつつ悔し泣き。
 愛車マーチ・ラキアくんのテールランプの交換をする。どうやったものかと思案して一度、ネットで検索してみたら簡単に出来そうだったので、部品だけ買ってきました。一見、普通の豆電球のようで、でもソケットの部分がしっかり自動車用だった。圧力の違いとかで、作りが違うのでしょうかね。イエローハットにて、ランプは2個で399円(普通の透明な奴ね)。さて、テールランプ。ハッチバックを開けて、作業に工具は必要なし、ただし…、うちの車止めには日陰がないので、真夏日に鉄の塊の真横での作業はつらい! 準備の部位確認に10分(テールランプ、ウィンカーランプ、バックランプの3つが付いていて、ブレーキペダルを踏んだときに点くのがどれだか分からなかったので、相方さんを外に引っ張り出してきた。やたら眩しい顔をしていた)、買い物に15分、交換作業が2分。いや、これは本当に簡単な「作業」です。多分現行の乗用自動車なら、大抵、ライト関係は自分で交換出来るようになってるのでしょうね。きっとその辺のサービスセンターなら作業代に1000円とか取られるんでしょう。勿体無い。ちょっと我慢して汗をかいて、浮かせたお金でアイスでも買うのがよろしいのではないかと。
 フロントライトのパーツも分かりやすいところに付いているので(一度自分で外してみた。やはり直ぐ換えられるように工具は必要ない作り)、時期がきたらやはり自分で交換しようと思います。調子に乗ってライセンスランプ(リアのナンバープレートを照らすランプ)の位置確認をしようとしたら、保護板のネジがいかれてて一向に開かなくて、クーラー全開とはいえ狭い車内で汗だくになってしまい、無駄なことをしたと後悔した。
 今日はもうクーラーの利いた部屋にこもろうと思います。
   ***
 今日の購入本。
「ハチミツとクローバー・9」羽海野チカ(集英社)

 1巻を読んだときは、エロ漫画に紙一重なんじゃないかと自分がふと思ったことを漏らしていたのですが、本作の方向性としては、その印象すら考え直さなければならないような気がしてきたので書いておこう。これはそういうエロスではなくて、読者がある描写を目にして、自分の頭の中で絵を再構築しないとエロにはならない、そういう「子供が大人をからかうためにそういう言動をしてみせている」がゆえの間接的なエロスがあるように思います。見せたり見られたり、触らせたり触れたり(握ったり!)と遣りたい放題のガキどもなのですが、それを大人が見ると、どうしてそんな子供に似合わないことをするのだ、やたらマセた子供が大人ぶってそんなことをしやがって、という反応を返してしまう。そこに、ある違和感が感じられます。それはつまり、その「マセた子供」はどうしてそんな大人の気を引くようなことをするのだろうか…、ということ。意味のないことを本当に意味もなくするのは、大人ぶった子供のすることではないのです。表面的には莫迦らしいことでも、本質的なところで見落とすべきでない、空白の本心の在り処を並行的に探っていくのが、本作の目指すところなのではないかな、と今回思ったのでした。
 いや、しかし、まあ…、アイスのアレは思い切り笑ったな。

 ある人物の過去の話が回想されます。それは本作を語ろうとすれば決して無視し続けることが出来ない類のもので、そして私屋氏は意外にあっさりとそれを描いてみせている。しかしそれを読者が読んで「ああ、そういうことなんだな」で終わらせてしまってはいけないのが、そのエピソードがあくまで「回想」に過ぎないのだということ。本作の主人公である青木先生は、九重りんの過去を全く知らない。「読者」の前に披露されただけのエピソードで終わるようでは、この重要な物語は物語としての役目を果たさない、ただの「設定」に成り下がってしまう。今後、物語をどう動かすか、それとも定められた結末に収束させるのかは私屋氏にしか出来ないことなのですが、どうかこのひとつの「小さな物語」を無駄にせぬよう願いたいところです。

こどものじかん 2
私屋 カヲル
双葉社 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。