「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と発表されて5年後。秩序崩壊した混乱の中、仙台市北部の団地に住む人々は…。表題作のほか、「太陽のシール」「籠城のビール」など全8編を収めた連作短編集。
「8年後に小惑星が落ちてくるんだよ」
「ふーん」
「ふーん、って…、地球が滅んじゃうんだよ。みんな死んじゃうんだよ」
「だって、8年後だろ?」
「そう、8年後。どうしよう、どうしよう」
「どうしよう、って。それまで生きるしかないじゃん」
本書では「小惑星が地球に衝突する」という形をもって描かれる「執行猶予」ですが、こういった「何もかもの滅亡の序曲」を描いた物語は、実はそう少なくはないことは誰でも感じることだろうと思います。そしてその中での違和感を隠し切れない、何処か非日常的な日常を描いたもののひとつが本作である、というのが、本書の表向きの物語。こういった物語が描かれるとき、どうしても「運命を受け入れつつも人々は諦められず逆境に向かい行動を起こす」だとか「滅亡の予感の中に人々は希望を見出す」だとか、なんとなく安っぽい感傷や中途半端な自尊ばかりが主張されがちなのですが、伊坂氏の物語では、どうも違うようです。
この物語の不思議なところは、一度、未曾有の大混乱を経験した、一般人でしかない人々が、その少し後の奇妙な一時の「平和」を経験する中で、改めて「生きること」の意味を彼らなりに問い掛け、噛み締め、取り敢えずは今を生きよう、とする、ある種の心の強さをひとつひとつ抽出しているところ。本書で伊坂氏が書く巧さは、作中の退廃したムードが何故か余所余所しく、一度は確実に秩序が崩壊した世界観を共有しつつ、世界が滅びるまでの限られた時間を生きていく人々の、その「生きていく様」の当たり前の姿を描いているところにあるのだと思います。無論、その「当たり前」さは、数年後に世界が崩壊する危機にあるのだ、という絶望が大前提に置かれた非日常的日常を基盤としていて、通常、なんということもない「とある街の日常」を抽出したものとは趣が全く違います。
連作短編集の形を採っている本書、その色合いは決して軽くはない。けれども、どんな絶望に満ちた世界でも、根本的な部分で人々の生き方は変わらない。そうであることもあるならば、ぬくぬくとした平和に浸って生きている我々が、確固とした信念を抱いて生きていくことに、なんの不都合があるだろうか。本書を読んで、そんな世界と人の捉え方も出来るな、と思ったのでした。
伊坂氏お得意のモザイク・スタイルも本書に健在で、ある話に登場した人物が別の話にアクセントとして登場することが多く、なんだか小さな街での人々の結びつきが伺えて微笑ましく思います。世界がどれほど終わりに近づこうとも、人は決して、ひとりじゃない。
伊坂 幸太郎著
集英社 (2006.3)
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