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今日のフォト:「濡れた千円札入り口」

2007年01月31日 16:43

 受けが良かったので載せてみる。
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「モリログ・アカデミィ・4」森博嗣、読了。(☆☆☆★)

2007年01月31日 16:36

 感想は後程。

モリログ・アカデミィ 4
森 博嗣著
メディアファクトリー (2006.12)
通常24時間以内に発送します。

今日のフォト:「お手」

2007年01月29日 23:08

 多分…、「お手洗」。
P1294758.jpg

「終末のフール」伊坂幸太郎、読了。(☆☆☆★)

2007年01月28日 18:50

 「8年後に小惑星が落ちてきて地球が滅亡する」と発表されて5年後。秩序崩壊した混乱の中、仙台市北部の団地に住む人々は…。表題作のほか、「太陽のシール」「籠城のビール」など全8編を収めた連作短編集。

「8年後に小惑星が落ちてくるんだよ」
「ふーん」
「ふーん、って…、地球が滅んじゃうんだよ。みんな死んじゃうんだよ」
「だって、8年後だろ?」
「そう、8年後。どうしよう、どうしよう」
「どうしよう、って。それまで生きるしかないじゃん」

 本書では「小惑星が地球に衝突する」という形をもって描かれる「執行猶予」ですが、こういった「何もかもの滅亡の序曲」を描いた物語は、実はそう少なくはないことは誰でも感じることだろうと思います。そしてその中での違和感を隠し切れない、何処か非日常的な日常を描いたもののひとつが本作である、というのが、本書の表向きの物語。こういった物語が描かれるとき、どうしても「運命を受け入れつつも人々は諦められず逆境に向かい行動を起こす」だとか「滅亡の予感の中に人々は希望を見出す」だとか、なんとなく安っぽい感傷や中途半端な自尊ばかりが主張されがちなのですが、伊坂氏の物語では、どうも違うようです。
 この物語の不思議なところは、一度、未曾有の大混乱を経験した、一般人でしかない人々が、その少し後の奇妙な一時の「平和」を経験する中で、改めて「生きること」の意味を彼らなりに問い掛け、噛み締め、取り敢えずは今を生きよう、とする、ある種の心の強さをひとつひとつ抽出しているところ。本書で伊坂氏が書く巧さは、作中の退廃したムードが何故か余所余所しく、一度は確実に秩序が崩壊した世界観を共有しつつ、世界が滅びるまでの限られた時間を生きていく人々の、その「生きていく様」の当たり前の姿を描いているところにあるのだと思います。無論、その「当たり前」さは、数年後に世界が崩壊する危機にあるのだ、という絶望が大前提に置かれた非日常的日常を基盤としていて、通常、なんということもない「とある街の日常」を抽出したものとは趣が全く違います。
 連作短編集の形を採っている本書、その色合いは決して軽くはない。けれども、どんな絶望に満ちた世界でも、根本的な部分で人々の生き方は変わらない。そうであることもあるならば、ぬくぬくとした平和に浸って生きている我々が、確固とした信念を抱いて生きていくことに、なんの不都合があるだろうか。本書を読んで、そんな世界と人の捉え方も出来るな、と思ったのでした。

 伊坂氏お得意のモザイク・スタイルも本書に健在で、ある話に登場した人物が別の話にアクセントとして登場することが多く、なんだか小さな街での人々の結びつきが伺えて微笑ましく思います。世界がどれほど終わりに近づこうとも、人は決して、ひとりじゃない。

終末のフール
終末のフール
posted with 簡単リンクくん at 2007. 2. 1
伊坂 幸太郎著
集英社 (2006.3)
通常24時間以内に発送します。

あわわわ

2007年01月28日 10:46

 今日辺りかなあ、と思っていたんですが。
 本館サイトの9999HITを踏んでしまった。
 10000は誰だ!(今回は記念に何か書こうと思います)

僕はオタクなんです(バトーン)

2007年01月24日 20:01

 バトンです。拾ったので答えてみました。
 基本ルール:答え終わったら最後に質問を一つ追加する。
 そして件名は「私(僕)はオタクなんです」にする。

 答え方及び判断の仕方は、

 ◎:キャラもストーリーも知ってる
 ○:大体知ってる
 △:聞いたことある
 ×:全く知らない

 随分長いので、「続きを読む」からどうぞ。

[僕はオタクなんです(バトーン)]の続きを読む

「よつばとしろとくろのどうぶつ」あずまきよひこ、読了。(☆☆)

2007年01月22日 22:22

 うし、パンダ、ペンギン、シマウマ、シャチ、ダルメシアン…。白と黒なのがかわいくて、ちょっとふしぎな動物たちとよつばが繰りひろげる「!」の世界。コミック「よつばと!」のイラストがかわいい絵本。

 割と珍しい構成かもしれない、よつばと動物のツーショットが見開きで描かれています。どんな絵本かとワクワクしていたら、絵本ですね、ホントに。かえってビックリしました。
「よーし、『よつばと』の絵本だぞー。声に出して読んでやるぞー」
 なんていう漫画好きのお父さんがいたら、娘さんの前で絵本を開いた瞬間、ひっくり返ります。いや、マジで。
 そんなクオリティなんですが、あずま氏のデッサン力は本当に高いと思う。それでいて、なんとなくどの動物を見ても「あずまきよひこ・画」と横に書かれているような雰囲気が漂っていて、スゴイ。

よつばとしろとくろのどうぶつ
あずま きよひこえ
メディアワークス (2006.12)
この本は現在お取り扱いできません。

「ηなのに夢のよう」森博嗣、読了。(☆☆★+☆?)

2007年01月21日 15:19

 地上12メートルの松の枝に首吊り死体が! 遺されていたのは「ηなのに夢のよう」と書かれたメッセージ。「φ」「θ」「τ」「ε」「λ」と続いてきた一連の事件と、天才・真賀田四季との関連は? Gシリーズ第6弾。

 成程、ある意味、人の死を扱った小説として、本作はミステリのターニングポイントともなり得るか。「自殺とはどういうことか」を、森氏の観点で描いた一編であるとも読み取れるのが興味深い。一方、Gシリーズの共通点に注目すれば、或いは本書のギミックらしいギミックは、それほど難易度の高いものではない。しかし…。
 いやあ、まさかこんな展開になるとは全く思わなかった。Gシリーズがガチガチの本格ミステリのシリーズであると信じている人はいないだろうけれど、でも、はっきりミステリと呼んでいいのだろうか。Gシリーズであることは間違いないのだけれど、もしかしたらこのシリーズは最初からミステリを想定して書かれてなどいなかったのではないか、との疑念すら浮かびました。しかし当シリーズのテーマは「テロ」と「自殺」でほぼ間違いないでしょうね。
 しかしビックリした。読み終えてビックリした。不可思議な状況で起きる首吊り自殺が続く、というのが本書の事件らしい事件。しかし森氏、今回は読者の予想を思い切り外してくれます。連続自殺事件に関する謎はその殆どが謎のまま。被害者の身元も不明(登場人物表にすら一人を除き出てこない)、これまでのギリシア文字と関連付けられる「η」のサインがミッシングリンクとして物語中に機能する一方、本書に関してはそれがそのままミスリーディングになっているけれども、そもそも数々の自殺は「事件」とは呼べない(「自殺幇助」は何処までが罪だろうか、ということをよく考えてみよう)のかもしれないとすら、思えてくる。これらの構成は、まあ、意外性というところを見ればミステリと呼べなくもないけれど、それはおおよその読者の期待とは違うところであろうことは確か。これまでにもまして物語の事件に対するスタンスは冷めていて、解決どころか外国でも似た事件が起きているらしいことを匂わせておいて、そのまま終息の兆しなんて見せず終わるのには頭を抱えそうになりました。
 作中、犀川や海月が時折、言及するように、ある事件が起こり、それに関わる人間がどう事件について把握し、事の成り行きを見守り、彼らなりの真実、事実を見極め、受け止めようとする姿勢に蓋然性を認めても良いものなら、本書もミステリなんだよなあ…。

ηなのに夢のよう
森 博嗣著
講談社 (2007.1)
通常24時間以内に発送します。

 それにしても、いくら転換期を謳っていても、十年前の飛行機事故の真相にちょっと触れてみたり(これは流石に今更で後付けなのでは、と思わずにはいられない)、外国の宗教団体が四季に似た人物を冷凍していたり、久慈博士を登場させたり、禁断のキーワード「女王」が出たり、とサービスだらけ伏線だらけで困ってしまいます。
 まだGシリーズの「G」が何なのか分からないし。

「フルーツバスケット・22」高屋奈月、読了。(☆☆☆☆☆)

2007年01月21日 07:25

 呪いと、約束。
 宴が、終わった。

 いやもう、ええもう。何か心を強く揺さぶられた作品に出会ったときに、「感動した」なんて一言で片付けるのは性に合わないのですが、それでも言わずにはいられない。心震える感動がここにある。
 まさか、こんな大団円が訪れるとは思いませんでした。それも不意の二段構えで来たから驚きもひとしお。良かった良かった、と快哉を叫びたくなってしまうような、両想いの通じ合いと、十二支の解放でしたね。この作品、物語の確固たるクライマックスの中の場面として、連載中にこんな「一挙」のシーンが描かれるとは予想していませんでした。しがらみと束縛の中で、迷い惑いながらも強く生きていく者たち、を掘り下げていくのだと信じて疑わなかった自分を恥じたいです。好きな人を抱き締める、という小さな行動に慈愛の、なんと強いことか。
 そして流石にあの「昔話」には舌を巻いた。束縛の「呪い」が自由への「約束」に変わった瞬間。完璧な集束を見た。フルバをここまで読んできて本当に良かった、と思う(なんだかもうここまで書いてきて、ネタバレの伏せも何もないですが、ご容赦ください)。物語の冒頭では誰もが予想したシーンは見事に組み替えられて別の姿を見せるのだけれど、しかしそこに溢れる切なさと優しさは「ああ、やはりこれで、こうなって良かったのだ」と誰もに思わせるシーンとして心に刻まれそうです。
 
 そして色々驚かせてもらいました。由希と真知が思わせぶりだけじゃなくて、ちゃんとくっついたこととか。改めてそういうことをされるとこそばゆくて仕方がないぞ。
 何よりここまで大団円なのに、まだ1冊続くのが驚き。まさか、ここに来て、ぐれ兄さんが悪役になったりしないだろうな、と余計なことも考えてしまうのですが…、思い至るものがないでもないのですよね(あれほど終始、意味深な言動ばかりしていればなあ)。そう、煉さんです。或いは、ぐれ兄の動きがそちらに向かうのでは、と思わないのでもない。果たして彼女に救いが与えられたなら、この作品は間違いなく「本物」だと認めなければならないでしょう。

フルーツバスケット 22
高屋 奈月著
白泉社 (2007.1)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2007年01月18日 11:18

 1年に3回くらい、
「猫の手も借りたい」
 って生で聞く。やはり忙しいときは、そういうものらしい。

今日のフォト:「こまねこ」

2007年01月17日 21:20

 あみぐるみ。
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「しずるさんと無言の姫君たち」上遠野浩平、読了。(☆☆☆+★?)

2007年01月17日 20:13

 殺人事件が起こり、不可解な謎があり、それをたちどころに解いてしまう人物がいる。本格的な「ミステリ」を装いつつも、何処か既存のミステリの枠に収まることを由としないような雰囲気。読者こそが謎解きを楽しむための物語、ではないようにも思える。実際、語られる事件の「真相」には驚くことばかりである。けれども、なんだか読者は突き放されたような気持ちを拭いきれない。
 そこに見受けられるのは、ある種、ミステリ(探偵小説)のある程度の記号化であるとも読み取れる。病室の少女、しずるさんの元に別の少女、よーちゃんが事件の概要を持参する。病室の少女は安楽椅子探偵さながらに、ベッドの上で話を聞いているだけで謎を解いてしまう。数々の事件を持ち込む役回りのよーちゃん(恐らく本名は明かされないのでしょうね)が警察関係者と少なからず接触しやすい立ち位置にいることや、事件の中心人物であるべき被害者の面々が、物語としての「事件」が判明したときには皆、物言わぬ死体でしかないことが多いことを見れば、彼女たちは単に思考遊戯として謎解きを楽しんでいるに過ぎないのではないか、という疑問すら浮上してくるように思える。というのも、よーちゃんは、しずるさんなら、数々の不可解な事件の謎を解くことが出来るかもしれないと実際思い、彼女に話して聞かせ、しずるさんは見事に即座の光明を与えてくれるのだが…、こう言い換えられる。よーちゃんは、ただ、しずるさんと色々な話がしたいから、彼女の元に事件の話を持ち込むのである、と。それは非常識な事件への興味、のみによる行動ではないことは、彼女の独白によりはっきりしている。
 けれども、やっぱり、その、事件へ取り組む姿勢が、ミステリらしくないのである。謎が解かれたところで、彼女たちにとっては完全に他人事なのである。そこから学ばれることもないし、彼女たちが救われることもない。それは我々「読者」と似たような立場で、この物語はそういう「どうでもいいような虚飾」を描いているのだとも言えなくない。とはいえ…、そういったことは、既存のミステリにもそう少なくはない姿勢であり、むしろ、生々しい事件への取り組みを重ねることによって、彼女たちは互いの思考を辿り、表面をなぞるだけでは得られない感情の深層をふと、手にとってしまい、困惑する様子が描かれる、そちらの方が、この物語の劇中、描かれる「絵解き」の本質に近いのかもしれない。

しずるさんと無言の姫君たち
上遠野 浩平〔著〕
富士見書房 (2006.12)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2007年01月14日 21:36

 メディアにおけるメインディッシュは、大抵、前菜(前座)よりも味気ない。

「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん、読了。(☆☆☆)

2007年01月12日 21:38

 お困りの節はお電話ください。多田・行天コンビが迅速に解決いたします――。東京のはずれに位置する“まほろ市”。この街の駅前でひっそり営まれる便利屋稼業。今日の依頼人は何をもちこんでくるのか…。

 直木賞受賞作。三浦氏が受賞したのに驚いて、では一体どんな本だろうと読んでみて、ちょっと迷っているところ。どういうジャンル付けをすればしっくりくるのか、判断に惑う一冊です。色々な要素が詰め込まれていて、一言でまとめるのが難しい。とにかく、主人公の多田とその相棒の行天、彼らは「探偵」ではなく「何でも屋」。そういう話。
 例えば行天の無鉄砲にしか見えない行動の数々に意味を見出そうとするのは観察者の勝手な憶測だけれど、過去の事実はどうあれ、誰かを助け、救うことが出来るかもしれないことは、誰にも否定は出来ない。他人がどうだから自分はこうする、という現代人の尺度には決して当てはまらない性質を魅力と呼べるかどうか、分かりませんが、読者は多田と同じ冷めた視線で彼を観察することも出来るし、或いは、訪れた救いに胸を洗われることも出来る。
 本書は割と、ただただ現実的に(現実的な)乾いた男たちの話で、社会に束縛されない自由な生き方をしているくせに、社会がなければ生きていけない現金なストイックさが根本にあるように見えます。友達やら仲間やら家族やら、そういうハートウォーミングな表現が似合うわけがないバツイチで三十路の男ふたりが、ぎくしゃくと互いに相方を務める。そこに、そこかしこに見受けられる他人の家族の逸話が巧く絡んでいて、微妙なバランスが取れているのです。

 そうそう、知る人ぞ知る、三浦氏の「軽トラック好き」が前面に押し出された話でもありますね。

まほろ駅前多田便利軒
三浦 しをん著
文芸春秋 (2006.3)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2007年01月11日 22:02

 「ギャルソン」って、フランス語で「少年」て意味だったのね。
 実は今日まで知らなくて、大興奮。

機械仕掛けの少年

2007年01月11日 22:00

 副題は「螺旋仕掛けのメロディ」。8950文字。
 初出は2001年5月。随分昔ですね。
 読み返してかなり違和感があったので、全面的に直しています。

 下の「続きを読む」か、
 サイトの小説ページから御覧ください。

[機械仕掛けの少年]の続きを読む

今日のフォト:「まあ県境に行けばこんなもんです」

2007年01月10日 21:49

 40センチくらいあったかな。
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今日の一言

2007年01月10日 09:34

 指を鳴らせないのがとても悔しいんです。
 (前にも書いたような気がするが、思い出して悔しくなった)

ラップ

2007年01月09日 22:26

 あまりどうでもいい話なんですが。

 クレラップが本当に使いやすくて心から感動した。
 あの僅かに角度をつけたV字のカッターは素晴らしい。どうしてこれまで誰も作らなかったんだろう(数年前には出来てたんじゃないかとも思うのですが)。手首を返すだけで綺麗に切り取れる。これで無駄な重なりを直すのに苛つくこともない。
 今まで何も考えずにサランラップばかり使っていたのですが、これを機にクレラップ派に転向しようと思います。

 →クレラップ/・製品情報

「草の冠 星の冠・3」テクノサマタ、読了。(☆☆★)

2007年01月06日 13:55

 寸感、実にツカミが悪い。
 現在、過去、その更に過去、と三段階の時系列の物語が挿入されているんですが、そもそも一番の本編である「季節に住まうの精霊たちの物語」の部分が全く導入として生かされていないため、読者には一体この人物が何なのか(誰、でなく)全然把握出来ないままに話が進んでいってしまう。
 しかし、その分と言ってはナンですが…、今回の話は随分と丁寧に筆が費やされているようです。物語の中心は、主人公、夏月の5年前の回想。ふと仲良くなった同級生のヒバナがもう、なんだかやたら可愛いんですが…、多分作者は、意図して可愛く見せよう、可愛く描こう、とは過剰意識をしていないと思うんですけれどね。それが逆に作用指定する絵柄の持ち主でもあります、テクノ氏。
 関西弁が柔らかく響いて、普段接することのない僕としてはそれだけで物面白いんですが、テクノ氏の可愛らしい男の子は、ちゃんと男の子オトコノコしてるから好きなんだよなあ。

草の冠星の冠 3
テクノ サマタ
幻冬舎コミックス (2006.10)
通常24時間以内に発送します。

「惑性.’S」月本てらこ、読了。(☆☆+★)

2007年01月06日 13:54

 表紙買いしてしまったのですが、ポップでにぎやかな絵柄は好感が持てますね。反面、案外、等身は高い方が好まれる絵柄なのでは、と思ったのも正直なところ。本書に関して言えばページ内に話を詰め込み過ぎかな、と思う場面が随所に見られました(明らかに連載後半の方が見やすい画面になっている)。連載収録ですが、1話辺りのページ数が極端に少ない回があるのが要因か。
 ファンタジーなのかSFなのか。BLにする必要があるのかはそもそもとして、喜怒哀楽を知らないスイ少年がしらず泣いてしまう場面はキュンときたものの、しかしなあ…。オートマタ、で事足りるところをダッチワイフにする必要はないだろう…。
 と思ったものの。「異国」の双子の肉体年齢設定は、永遠の16歳。まさに「永久美少年」ここに降臨であります、姉さん!(爆笑)このネタが描きたかったのではとつい勘繰ってしまうような懐の深さに乾杯。エピローグはしかし、それを思うと未来がないように思えてなりません。これは全てのBL作品に言えることなのだが…。安易なハッピーエンドは彼らの首を絞めることになりかねないぜ、姉さん。

惑性.’S
惑性.’S
posted with 簡単リンクくん at 2007. 1. 7
月本 てらこ
新書館 (2006.12)
通常24時間以内に発送します。

「かみちゅ!・1」鳴子ハナハル、読了。(☆☆★)

2007年01月05日 12:34

 神様中学生、略して「かみちゅ」。このタイトルフレーズだけでアニメは成功したも当然だと思うのですが、実際、アニメの出来があまりに良かった(個人的感想)ために、本書は「アニメのコミック版」という先入観が強くなってしまって、二番煎じとして読んでしまっている自分がいる。普段にも増して…、無念。
「私、神様になっちゃった」
「ふーん」
 という会話で、全体の説明が付いてしまうという、不思議な世界観を持っています。主人公は女子中学生、一橋ゆりえ。彼女が神様になった、ということが判明して、それ以外は全く普通の、何処にでもある長閑な町並み(町の人が「ゆりえちゃん、神様になったんだって?」「あ、はい、そうです」そんな感じ)。平和な日本、今どきの子供に大人。けれども小さな神様が生まれたことで、町にはこれまではなかった色々な出来事が起き始める…、いや、神様になったゆりえは、ただの人には感じることの出来ない「八百万の神」を感じることが出来るようになり、それはつまり、少なくとも彼女にとって、現世は全く違う姿を見せつつあるということで…。
 中学生、という生き物には常套である「自分って、一体、何なんだろう?」というアイデンティファイ(「自分」を追い求める)が、「神様って、一体何なんだろう?」と己に向かう疑問として求められていくのが、本作でしょう。その辺りはまだ、始まっていないみたいですが…、はてさて。

 うるおい…、欲しいなあ…。

かみちゅ! 1
鳴子 ハナハル著 / ベサメムーチョ原作
メディアワークス (2006.1)
通常24時間以内に発送します。

「花屋の二階で・1」菅野彰・二宮悦巳、読了。(☆☆☆★)

2007年01月05日 12:08

 やはりBLモノとしては異色の出来である「毎日晴天!」シリーズ(もうどうしてこのシリーズがこのタイトルなのか忘れてしまっているシリーズ読者も多いことだろうと思う。不甲斐なく僕もその一人)。こう言っては何だが、単純にキャラ萌えでBLを楽しんでいる腐女子の方々には、こういう小説は決してBL小説として楽しむことは出来ないのではないだろうか、と思ってしまう。本当、大概のBLは「BL」であることを前提に書かれているために、著作者が「こういう話を書きたい」と思うところの本位(本意!)とはギャップがあるのではないだろうか、と時々、思うのである。しかし本という媒体を介するとき、著者と読者とのギャップというものも絶対的に存在するわけで、個人個人がどんな「楽しみ方」をしようがそれはまた個人が介入することの出来ない自由であって…、けれども僕は、個人的な考えとして、やはりそれは本作に関しては、勿体無いなあ、と思うのである。安っぽい言葉で片付けるのは不本意なのだが、そこには論理だけでは解決出来ない様々な不安や悩み、現在と過去の橋渡し、家族と他人との間の、必要のない境界線、愛情、愛憎、諸々のドラマがある。
 先に述べた大概のBL作品が有する「BL作品であることを前提としている」が故の危惧というのは、その作品が占める「BL」は、その作品を構成するのに大抵が絶対条件となってしまっていること、を危惧している。つまりそれら(つまり大抵の「BL」)はある種、ただの娯楽としての「BL」を絶対に越えることが出来ない性質を備えている。幾らなんでも少数派だろうと思うが、酷いものになるとその作品から「BL」を取っ払ってしまえば、それはただの残りかすにしかならない、なんていうこともあるのだ。少なくとも当シリーズの占める物語の重点は…、確かに、まあ、「愛がなければやってられない」というサガも大きいのだけれど(それははっきり認めよう)、それを差し引いてもなお、なんともバイオレンスな香りのする帯刀家に漂う、その隠れた優しさをもってして、不自然に作られたものではない愛情を感じることが出来る。

 というのは僕の個人的な感情でして…、そもそも本書は菅野氏の小説の漫画化であります。二宮氏の仕事は毎度、本当に見事だと思う。暴れん坊将軍満載のこのシリーズ、まとめ切ることが出来るのは二宮氏だけでしょうね。
 もう誰が見ても冒頭から「花屋×次男」、既遂なのは明らかなのですが、実は1巻の時点では描写が曖昧なままであるようにも見えるのに、注目。昭信の描写がこれまでに増して丁寧な(悪く言えば愚痴愚痴としている)描かれ方をしているために、心理的な「重さ」がこれまでと違う種類の重力として感じられるので、シリーズ中でも少々、異色と呼べるかもしれません。何より明ちゃんもそっちへ行っちゃうのかよ! という驚きが強いか、やはり(笑)。

花屋の二階で 1
菅野 彰 / 二宮 悦巳
徳間書店 (2006.12)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2007年01月05日 01:51

 書初めも十年来していないな。
 学生時代の何分の一、手で書くことをしていないだろう。

「未来日記」えすのサカエ、読了。(☆☆☆☆☆)

2007年01月03日 23:30

 未来を予測出来るケータイの「日記」を所有することになる12人。彼らが生き残りをかけて殺し合う、というバトルロワイヤル。仕掛け人は運命の調律者、デウス・エクス・マキナ。生き残った者を己の後継者とする、とあって、俄然ヒートアップする「殺し合い」の図式。主人公、雪輝の妄想の世界の知人であったはずのデウスが、「時間と空間の神である以上、お前の妄想に住まうことも可能だ」と一言、突きつけるのが本作の虚構感を一掃していて気に入りました。
 あまりにも非現実的な設定なのに、あくまで現実世界の中でルールが定められているために(自分ではなくケータイという端末に依存した予知能力を与えられた、ということですが、12人それぞれ、「日記」で見られる未来のタイプが異なる。勿論、他人の行動により未来も変わる)、荒っぽいイメージが拭えないにもかかわらずスピーディで常に緊迫した状況が、常にある狂気じみた雰囲気を盛り上げている感じ。
 また登場する人物、誰も彼もが「対岸の人」と呼びたくなる人ばかりで、まさに「狂気」乱舞。特に第1巻で否応なく注目してしまうのが、主人公のクラスメートの由乃。恐らく本作通してのヒロインとしての位置づけなのでしょうが、こんなヒロインはかつて存在しただろうか、というくらいにぶっ飛んだことをしてくれてる(元々主人公を追うストーカーであったがゆえに、「彼を誰よりも守りたい」→「彼のためなら誰もを殺せる」という欲求が飛び抜けている)ので、たまりません。彼女を恐れながらもパートナーとして手を離すことの出来ない雪輝との今後の関係には目が離せませんね。

未来日記 1
未来日記 1
posted with 簡単リンクくん at 2007. 1. 4
えすの サカエ著
角川書店 (2006.7)
通常24時間以内に発送します。

「魔人探偵脳噛ネウロ」松井優征、読了。(☆☆☆☆)

2007年01月03日 15:58

 世界に満ちる「謎」を食料とする異界の探偵と、巧い食事にありつくために、カモフラージュとして彼の「探偵役」を任ぜられてしまった少女の「謎解き」そして「謎喰い」の物語。
 というと、それほど珍しいタイプの話ではないようにも思えるのですが、意外や意外、これが滅法面白く読めました。表向きは思い切りファンタジーなのに、作中に登場する事件はマトモ過ぎるくらいにミステリなのです。つまり推理小説的ストーリィ。異形の者が当たり前に登場する非現実的な設定で話を進めているのに、事件の方は「何でもアリ」にしてしまわない潔さを買います。本当に現実的なトリックかどうか、という議論は二の次にしても、そのトリックの出来栄えは本当、キャラクターの掛け合いなどを見ていると不似合いなくらいに巧くミステリの枠にハマっていると思う。
 特に主人公の弥子がネウロと行動を共にする切っ掛けとなった、彼女の父親が殺された事件。この事件の解決を第2話にすることで、第1話に登場した竹田刑事がレギュラーキャラクターになるように思わせるミスリーディングが物凄く巧い遣り方だと舌を巻きました。密室トリックも実に腑に落ちる作られ方で、「ファンタジー・ミステリ」のコミカライズとしては優に及第点以上でしょう。
 かと思ったら、あの伝説のドーピングコンソメスープの登場がいきなり1巻で驚きました(笑)。こういう「面白さ」とミステリのバランスが巧く配置されれば、凄く面白い作品になるに違いない。作画が安定していないのが人気不足のネックに繋がっていなければと思うのだけれど、連載は順調のよう。もう少し先まで事件の数々を覗いてみたいです。

魔人探偵脳噛ネウロ 1
松井 優征
集英社 (2005.7)
通常24時間以内に発送します。

今日の一言

2007年01月03日 01:52

 去年の中頃から、新聞を取るのを止めました。
 良いことも悪いことも、一切ありません。

「容疑者 室井慎次」鑑賞。(☆☆)

2007年01月01日 03:01

 「踊る大捜査線」スピンオフ作品。
 「踊る」シリーズのレギュラーキャラクターである室井警視正が主人公ということで、面白さは二の次でまず観てみたくなります。しかし、純粋な(単純な)シリーズのファンが「ええっ、室井さんが容疑者!? どういうこと!?」という興味だけで本作を見ると、とんだしっぺ返しを
食らうのではないかと思われるのが正直な感想。特にギバちゃん好きの中高生がコレを見ても、一体作中、何が行われて何が問われようとしているのか、という表面的なことは元より、本質的なところも全然分からないのではないかと、段々心配になってきました。詰まらなくはないのだけれど、とても分かりづらい。ミステリとしてもサスペンスとしても、ドラマは描いているはずなのに、何か中途半端な感じで、惹き付ける方向性が期待と本物で何処か違う。
 警察機関内での確執と、検察や弁護士の扱う法律の問題、これが大きなテーマでしょう作中、これらの重厚とも重圧とも呼べる様々な題目が登場します。これがちょっと法律を齧った視点から見ても実にややこしくて、特に灰島弁護士らの案件に対する法律の持ち出し方というか、事件に対する姿勢というか…、嫌な意味で「法律を味方につける」やり方には虫唾が走るほど「巧くやっている」様に苦笑いを堪え切れませんでした。普段我々は、法律は味方だと思っている。けれども、法律が論理で出来ている以上は、その逆である。法は人を規制し、人を裁く力がある。灰島の言う「法の前では人は無力」という言葉が痛いくらいに沁みます。灰島のキャラは敵役として(ホント一々腹が立つくらい)キャラが立った人物だっただけに、失言があっさり出てしまったり、結局は金目当ての人間だったのは残念としか言いようがない
 しかしなあ…。本作の場合、室井さんが突然捕まって、何故か拘置所から釈放されて、なんか謹慎中なのに捜査して、取調べをするのに刑事部が皆集まって、そこに横槍入れるために弁護士も集まってきて、なんだか裁判のようなことになって問答して、なのにいつの間にか立場逆転してて、勝手に自白が得られて、犯人捕まって、あれ? 逮捕されたのに刑事続けてていいの?(真犯人が逮捕されて不起訴になった)みたいなことになってて、色々な意味で予測を裏切るストーリィになってますね。


 あの誰も同情したくなくなるような娘は誰なんですか全く!


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